山国の夏は終わりが早い。お盆を過ぎれば急激に風が冷たくなり、気づけばクリスマスも1か月後に迫る。10月31日の終業時刻から、店舗のディスプレイはカボチャからもみの木へと早変わりだ。早い時は10月末に雪が積もる年もあった。
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合唱をやったことがある人はわかるかもしれない。主なコンクールは夏に予選があり、10月にはほとんどの全国大会が終わる。が、プロ野球のように冬はキャンプや合宿で集中トレーニングできるということではない。スポーツのようにシーズンのオンオフはないのが合唱部なのである。
何がそんなに忙しいのかといえば、メサイアだ。ヘンデルの代表的な宗教オラトリオで、初演は1742年ダブリン。クリスマスの行事として定着したのは、1818年のアメリカ初演に由来するとされている。
学校によってはこの演奏会に参加するので、大会終了後に一息つく間もなく練習が始まる。
合唱パートだけでも数十曲あり、初参加の1年生は音取りからスタートだ。ソリストも上級生から選抜となれば、そちらのオーディション対策もしなければならない。それらが終わればオーケストラとリハーサルを重ねて、12月の本番を迎えるのだ。
私が一番苦手な行事は、定期演奏会とこのメサイアだった。理由は国語と数学、授業とクラブ、そして曲と曲。あらゆる切り替えに時間が掛かってしまう、自閉症スペクトラムの典型症状である。
タイプの違うものを何十曲も連続して演奏する発表形態は、脳へのダメージが大きく感じられた。合同練習で頭痛が止まらなくなったこともあった。達成感やもらえる拍手の量に、心身の負荷が追いつかない状態まで来ていたと言える。
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コンサートホールでのリハーサル後、時刻は17時前だっただろうか。雪が降る前だったので、その日は自宅から30分かけて自転車で来ていた。
気づいたら自転車を引いて、跨線橋から沈む夕日を見ていた。その時、今年はまだイルミネーションを一つも見られていないことを急に思い出したのである。練習する曲以外に、季節の変わる実感のない生活だったのかもしれない。
広場には光るトナカイが並び、街路樹は黄金のライトでドレスアップしていた。まだコロナの心配もなく、すれ違う人の顔もよく見えた。デパートのクリスマスツリーはここ10年程、青色のイルミネーションをまとっている。あの寒色の温度は雪に映えて大変好きだった。
あと2年間、この生活でいいのか。そう問われた気がした。胸の中のキャンドルは、風前の灯火になっていた。
何とかその年の本番までは粘った。ホールに響くハレルヤコーラスは、あの日の市街地の光を脳裏に描かせた。祖母と従姉妹が、最後のアーメンで拍手をしているのが見えた。解散式でお茶を頂いた後に、控室の灯りを落としてモーツァルトの「アヴェ・ヴェルム・コルプス」を歌って終えたのを覚えている。
年が明けて練習は再開したが、どうやっても消えた火が再び点くことはなかった。風邪をこじらせて体力が落ちてしまったことも影響している。部活に限らず、何を努力しても指先から成果がすり抜けていくような恐ろしい脱力感に常に悩まされる。うつ病の発症だった。
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それから10年以上が経つ。一度大学で歌に戻った時期もある。しかし、コンクール中心の部活とはまた違うハードさに、うつ病が再発してしまった。以来、もう演奏の場には立てないでいる。
どうやら私の灯火は、あのクリスマスに静かに消えてしまったようだ。売れ残りのマッチが見せる幻の季節は、今年もやってくる。