最初で最後だったような両親からの忘れられないプレゼントは、小学校に上がる前の「夢ねこ」だった。

私の親は「キリスト教はうちには関係ない!」と、クリスマスツリーを飾ったり、食事は特別感があるものの、小学校に上がる頃にはクリスマスプレゼントなどないのが当たり前だった。
また、祖父母からのプレゼントはモノというよりも、現金で、「好きなものを自分で選んで買って!」というようなスタイルだった。
「サンタさんなんて、いないよ」と、少し冷めたように言った母の言葉に、サンタさんからではなくてもいいから、「これが欲しい!!」とおもちゃ屋さんで泣き叫んで購入してもらったのが「夢ねこ」だった。
ググると(インターネットで検索すると)今では「夢ねこプレミアム」となって、モーションセンサーで反応して喜怒哀楽を示すようにバージョンアップしているらしい……。

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小学校に上がる前の当時の私は、犬や猫が飼いたくて飼いたくて仕方がなかった。
そう両親に懇願するも、「あなたたち子ども3人のお世話で精一杯だから、ペットは充分」と、一言の返事で打ちのめされてしまうのがいつものオチだった。
そんな、あるクリスマス前にテレビで流れているコマーシャルに釘付けになって、「これなら餌あげるのも、お散歩も、家が荒れるのも心配しなくてもいい!」と、幼心にそう思ってサンタさんにクリスマスプレゼントのリクエストの手紙を書いた。

サンタさんに手紙を出したもののクリスマスまで待ちきれず、ある日おもちゃ屋さんで「今すぐ欲しい!!!!!」と泣き叫んだのが、私だった。
そんな私をどうしようもできなかった母は、「今、買うけれど、遊ぶのはクリスマスの日ね」と約束し、少し早めのクリスマスプレゼントにしてくれた。

そうは言ってもクリスマスまで待ちきれなかった私は、そんな母との約束など覚えていることもなく、夢ねこがしまってある場所をすぐに突き止め、母が仕事で家にいない間にこっそり箱を開けて、独り静かに遊んでいた。
そんなひっそりと遊ぶ毎日が続く中で、ある日、夢ねこの入った箱を誤って少しだけ破ってしまい、そこから何かが吹っ切れ、その日は夢ねこと一緒に母の帰りを堂々と待った、クリスマス前のことを昨日のことのように覚えている。

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一ヶ月ほど、猫と過ごせる夢のような二人だけの時間を過ごし、残念ながらクリスマス当日になる頃には、そんな「猫のおもちゃ」に飽きてしまった。
熱しやすく冷めやすい私の性格上、一度冷めたら冷め切ったままの私は、いつしか「夢ねこ」の所在を把握しなくなった。
あんなに「欲しい!!!!!」と切望して、あんなに「毎日大切にしていた」のにもかかわらず……。
最後は母の友達の子に譲ったのか、ゴミ箱に捨てたのか……全く覚えていない、何ともない別れだった。

時間が経つにつれて褪せてしまう記憶、自分の中で美化してしまう記憶もある中で、今でも嬉しかった・楽しかった想い出がある「夢ねこ」との時間は、私の中で一生忘れられないプレゼントとなった。