正体に疑念を抱いた翌年、疑惑を晴らそうとサンタさんに頼んだのは…

小学校3年生の頃、私は近所の公文式教室で英語を習い始めた。その年のクリスマスにサンタさんからもらったプレゼントは、ラジオ機能つきのCDプレイヤー。CDなんて1枚も持っていないのになんでだろう、と思ったら、母が「これで英語のリスニング、練習できるね!」と言った。
サンタさんの正体に疑念を抱き始めた最初の年である。

しかし、4歳離れた妹と7歳離れた弟がいる私は、「サンタさんの正体」というフレーズすら、家で口にする訳にはいかなかった。妹弟の夢を壊せないと思ったからだ。それに何より、自分自身が「サンタさんはいる」ということを信じ続けたかった。

そこで私は小学校4年生のクリスマス、サンタ存在説を主張するための実験に取り組むことにした。その年サンタさんに頼んだのは、「海賊の望遠鏡」。「海賊が持っているような、棒みたいな望遠鏡が欲しいです」と頼んだのだ。ちなみに望遠鏡を選んだのは、パイレーツオブカリビアンにハマっていたからだ。
当時の私にとって、トイザらスかイオンに売られているものが世界にある品物の全て。そのどちらでも見たことがない品物なら、親が買えるわけがない。つまり、サンタさんが不思議な力で容易してくれたということになるはずだと考えた。

仮説を立て、サンタさんは「目に見えないもの」と思うように

「サンタさんはいる」という仮説のもと、家の中も外もクリスマスの飾りつけをして、部屋もしっかり掃除した。さらに妹と弟も実験に動員し、サンタさんのためにクッキーも用意した。ついでに喉も渇くだろうと思い、みかんも備えた。
10歳の頭で思いつくかぎりのおもてなしを用意した結果、随分と和洋折衷のクリスマスになってしまったが、まあ許容範囲だろう。
そうして迎えた12月24日、「サンタさんが来るから!!」と妹と早々に布団に入る。

学校の友達には、「サンタさんを見るために夜遅くまで起きている」と言う人もいたが、私にしてみればそれはとても非現実的な方法だった。
現代日本のセキュリティーは強い。暖炉もなく、カギも掛かった家に、サンタさんは忍び込める。つまりサンタさんは実体がないか、もしくは透明人間のように姿を消すことができるのではないか。それならば、子どもに姿を見られないようにすることなんて簡単なはずであり、「サンタさんを見たことがない=サンタはいない」という説明は成り立たないはず。目に見えないものの存在を証明するためには、今回の方法が最も適していると考え、クリスマスイブのわくわくを胸に眠りについたのだった。

私たちに楽しさとワクワクをくれた「サンタさん」は本当にいる

そして迎えた12月25日、朝7時。母に起こされ、弟妹揃ってバタバタとツリーの下を見に行くと、そこには3人分のプレゼントが置かれていた。嬉しくて跳ね回る弟、「サンタさんありがとーーー!!」と叫ぶ妹。2人のものより小さな袋を恐る恐るあけると、そこにはなんと、お願いした通りの望遠鏡が収められていた。革張りの、伸び縮みする望遠鏡は、まさに私がイメージした通りの品だった。
「サンタさんは、やっぱりいるんだ!」
実験に成功した喜びと、素敵なプレゼントをもらった嬉しさで、私も妹弟とともにおおはしゃぎしたのだった。

今でもあの年のクリスマスを思い出すと、浮き足だったような、フワフワして楽しい気持ちがよみがえる。「サンタさん」は、ゲームやおもちゃではない、面倒なオーダーにも答えてくれた。「サンタさん」は、クリスマスの準備をする楽しさと、プレゼントを待つワクワクをくれた。「サンタさん」は、私たち家族に大切な思い出をくれた。

サンタさんは実在しないかもしれない。それでも、「サンタさん」は本当にいる。そのことを、私は実験を通して確かにつかんだのだ。