飼っていたハムスターが亡くなったのは、まだ最近の出来事。
約1年半前、とにかく動物と暮らしたい一心でペットショップをめぐり、出会った子だった。

一人暮らしを初めて1年くらいだっただろうか。その子をうちに迎えたのは。
一緒に過ごした1年半が特別なものになった。というわけでもなく、ただ、いつもどおりの生活に、そっと柔らかさとぬくもりを感じる瞬間が好きだった。

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ペットを亡くしてからの生活もいつもどおりだった。手のひらにその小さなぬくもりを感じることができなくなった。
ただそれだけだった。ただそれだけと感じたことが、とにかく悲しかった。

この子はきっと他のうちに育ててもらったほうが長生きしただろうし、幸せだっただろうし、美味しいものをいっぱい食べて、いっぱい触れ合って、いっぱい動いて、いっぱい眠っただろう。
そんなことしか考えられなくて、一緒に過ごした1年半を悔やんだ。
同時に、気の軽さを感じている自分にも嫌気が指した。
自分はどれだけ小さな命であっても守れるような人間ではないのだなと感じたし、命におおきさなんてないのだとよく知っていたはずなのに、こんなことをしてしまった自分が情けなくなった。

それからペットは飼わずに一人暮らしを続けている。あの時のことを忘れて過ごす時だってもちろんあるが、ふとこうして思い出し、やるせない気持ちになることがある。
それは偶然にも、退職のタイミングと重なっていた。私が「暮らすこと」を意識し始めたのはそれもあってだと思う。

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今までは時間帯の不規則な勤務に、命に関わる仕事という責任の重さが自分の体にストレスを与えていた。
2〜3年前は自分はストレス耐性の強い人間で、仕事とプライベートは完全に切り離して考えられると自負していた。いや、これがストレスだと気づくのにも年単位で時間がかかっただけなのかもしれない。

周りからはバリキャリ一直進だと思い込まれていた私だったから「仕事しないで過ごしてたら暇すぎて、すぐ帰ってきたくなるよ。君だったら絶対そのタイプだよ」と同僚に言われた。私の何を知って、わかって「絶対」というワードを出せるのか。いまいち理解できなかった。

同僚の言ったようにはならなかった。
実際に仕事をやめてからの生活は自分でも驚くほど充実していた。将来への不安がないわけではないが、少なくとも働いていた時のような身体的なストレス反応はグッと減った自覚があった。
朝起きて夜眠る生活。ちゃんとご飯を食べて、洗濯や掃除をして、適度に誰かとあったり、でかけたりして……。
働いていたころは何かにつけて仕事を言い訳に、「暮らし」を蔑ろにしていた。睡眠時間を削って課題をして、お腹はすくのに食欲はわかなくて、休みの日はベッドから動けなくて掃除も後回しになることだってあった。

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あぁ。あの仕事は私にとって暮らしの中にある仕事ではなかったんだな、この仕事とは一緒に暮らせないな、と思った。
自分なりの暮らしが保てない仕事で得られるものは少ないと思う。その仕事で頑張っていいお給料をもらっても、日々の暮らしをズタズタにしてまで得たいものなのだろうか?と思うようになった。これも、ここ数年で変化した私の価値観の一つだけれど。

生活の中で、何に軸をおくかは人それぞれだと思う。仕事が大好きで仕事に軸を置く人もいるし、趣味に軸をおいて嫌な仕事でもがんばって働いてお給料がたくさんほしい!という人もいるだろう。暮らすことに軸をおいて、生活に困らない程度のお金を稼いで、趣味に力を注ぎたい時はちょっと頑張ってみたり、できる範囲のことで楽しんだり。

日常に小さな幸せを感じながら……できれば健康に自分にあった暮らしを。と願うのは贅沢なんだろうか?
でも結局は、誰かと、何かと、一緒に暮らすのは疲れる。多分これが一番の本音だと思う。
だから、しばらく、私は一人で過ごすんだろうな。