いきなり私事で恐縮だが、今年から社会人デビューを果たした。
なんやかんやでもう24歳。遅咲きも遅咲きである。
間違いなく人生でいちばん大変な年を終えようとしている今、自分自身の成長に思いを馳せてみる。

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職業柄、「ここ!」という職場がなく、今日はこのオフィス、明日はこのオフィス、と毎日違うところに出勤をしている。毎日が「はじめまして」だったり、「ご無沙汰しております」だったり。
そんな感じで本当にたくさんの人と出会い、一緒に働いたが、人見知りな性格もあり、未だに「この人とは打ち解けることができた」と思える人はひとりもいない。

人見知りだけど、気さくなフリをして人と関わることができたのも成長だと思う。
定時に帰れなくても不満を言わず、こらえることができるようになったのも成長だと思う。
敵に回さないほうがいい人をすぐ発見できるようになったのも成長だと思う。
お父さんとお母さんのすごさを知り、感謝の気持ちがあふれ出てきて止まらなくなってしまっているのも成長だと思う。

本当に頑張ったから、いろいろ出てくる。
でも、私が個人的にいちばん「ヨッシャ!」と思える成長は。
コーヒーをおいしく飲めるようになったことである。

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4月からいろいろなオフィスでお世話になっているが、いやはや、コーヒーが出てくるわ出てくるわ。あっちに行ってもコーヒー。こっちに行ってもコーヒー。
「どうもどうも」「よろしく頼みます」。そんな気さくなセリフと一緒にコーヒーは運ばれてくる。

コーヒーや紅茶の類は苦手だった。ファンタメロンが大好きだった。
学生の頃、こういう場では大抵「コーヒーで良いかな?お茶が良いかな?」とワンクッションあったものだが、今となってはワンクッションあるにしても「お砂糖とミルクはおひとつずつでいいですか?」だ。
ちなみに例外的にセブンイレブンのコーヒーに砂糖とミルクを8個ずつ入れて飲むのは好きだった。でもまさか「8個ずつで……」なんていえたもんじゃない。

机上にあるだけの砂糖とミルクを拝借し、カップ1杯分のコーヒーを喉に流し込む。
本当に、苦行だった。
歓迎の意を込めて出してくださっていたかもしれないのに、こんなこと言うのはアレだが、しんどかった。息を止めていた。飲んだ後は胃がジリジリと痛んだ。
あんまり早く飲み終わると「おかわりは?」なんて言われかねないから、そろそろ立ち上がるかな?というタイミングでグイといく。

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胃を痛めながら仕事を続け、夏頃。
その日は突然やってきた。
その日もあるオフィスでコーヒーを出していただいた。
砂糖とミルクをひとつずつ入れさせてもらい、いつものように息を止めてグイと喉に流し込んだ。
すると、なんだろう。いつもと後味が少し違った。
苦いのは苦いのだが、なんだろう、これがコクというもの?深みというもの?
もうひとくち。
次は息を止めずに、でも少しだけ量を少なめに口に含む。
おいしい。
あれ?
おいしいぞ?
その日はなんだか、背が10センチくらい伸びたような感覚で、いつもより自信を持って仕事ができた。単純マンである。

別の日、また違うオフィスでコーヒーを出していただいた。
砂糖とミルクはひとつずつ。
「ヨシ」と小さく気合いを入れ、口に含む。
うめぇや。なんだこれ。
苦行が、コーヒーブレイクに変わった瞬間だった。

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なにがなんだかわからなかったし、理由もさっぱりわからなかったが、あるときから急にコーヒーをおいしく飲めるようになった。
ほろ苦いのはそうなんだけど、ほろ苦さに癒やされている自分がいた。
これが大人になるということか。いや違うか。
社会に出てほろ苦い経験をアホみたいに積み重ねていたけれど、このほろ苦さは悪くない。いつかほろ苦い経験もおいしく味わえる時がくるだろうか……。

今度セブンイレブンのコーヒーも、砂糖とミルクをひとつずつだけにして飲んでみよう。
そんなことを、この文章を書きながら企んでいる。
うーん、そうしたら次は、それなりにレアキャラだけど紅茶かな。
来年はオフィスで紅茶をジャンジャン出されますように。なんちゃって。

私の、ほろ苦い成長話はここまで。