私の中にたくさんの、色んな私がいる。
正確に言うと、色んな私を演じることができる。
だから色んな自分の見せ方を知っているし、色んな見られ方をしている。
「私は元気で活発でよく笑う、誰とでも仲良くなれる人」と思っていた
小学2年生から中学3年生までの約8年間、習い事でチアリーディングをしていた。
人に元気や勇気を与え、笑顔にするスポーツ。チアリーディングをしていると自然と普段の表情も明るくなるし、周りの友達や先生からは「本当に元気だね」「活発だね」「いつも笑っているね」そう言われることが多くなった。
『私は元気で活発で、よく笑う人なんだ』と思った。
中学を卒業して、憧れの女子高校生になった。部活動見学で、先輩からの誘いを断りきれず、男子バレーボール部のマネージャーになった。
クラスの女子とはすぐに打ち解け、皆んな子とすぐに仲良くなった。他クラスの子ともすぐに仲良くなり、周りの女の子たちからは「誰とでもすぐに仲良くなれるんだね」「初対面の人と打ち解けるのが上手だね」と言われた。
『私って元気で活発で、初対面だろうが誰とでも仲良くなれる人なんだ』と思った。
部活が始まり、普段話す機会の無い男の子に囲まれての練習。緊張して目も合わせられずにいると、「人見知りなんだね」「大人しいね」と言われた。
あれ、私って誰とでもすぐに打ち解けられるし、活発な人なんじゃなかったっけ。自分がどういう人なのか、少しだけよく分からなくなった気がした。
学校の近くにはコンビニエンスストアが2つあった。セブンイレブンには大学生が何人かアルバイトしており、ローソンは50代くらいの店長と、主婦のパートの方が大体いつも働いていた。
セブンイレブンへもローソンへも同じような時間におやつを買いに行っていた。ただし、セブンイレブンとローソンではそれぞれ違う私で買い物をしていた。
セブンイレブンでは、店員さんが若かったからか、男子バレーボール部にいる「人見知り」な私になり、ローソンでは店長もパートの主婦の方も両親と同年代くらいだからか親しみやすく、少しばかりの世間話もできるほどに打ち解け、「誰とでもすぐに仲良くなれる」私になっていた。
その頃から、本当の自分ってどれ?と悩むようになった。その気持ちと並行するように、新しい自分がどんどん出てきた。
「しっかりしてるね」
「抜けてておっちょこちょいだよね」
まるで正反対とも言える印象を周りの人から聞く度にまた、分からなくなった。自分は明るくて元気だと思い込んでいたのに、「大人しいね」と言われ、必要以上に落ち込むこともあった。
「紫は、赤と青」。数えきれないほどの色んな私は全部私なのだ
自分の人柄や性格に一貫性みたいなものが欲しいとずっと思っていたからだと思う。
でもそうじゃなくていい。多面性があっていいのでは。そう思えるようになったのは、本当にひょんなことからで、それは「色」だった。
紫色のマニキュアを爪に塗った日、小さな女の子が私の爪を見て、「紫は、赤と青」と言った。その女の子の好きな色は青で、だから紫も好きだと言った。そのとき私はやっと分かった。
紫は、赤と青で紫。言い方はおかしいが、赤も青も紫の一部分。
ああそうか。周りの人が私に教えてくれた私は全部私であって、数えきれないほど出てきた色んな私を全部受け入れて、それを一つの私として愛すことができて、色んな場面で引き出しとして使えたら。最強ではないか。
そう思うことができたその時から、大袈裟ではなく世界が変わったように感じた。
場面によって出す引き出しが違うだけ。それを楽しんで、「しっかりしてるね」そう言ってくださった環境下にいる時は私の中の「しっかりしてる私」を引き出しから出して、まるで演じているような感覚。その中で、たまに「抜けてる私」が出てくると、「こんな所もあるの、面白いでしょう」と思えるようになった。
私は「見られ方」に悩まされ、「見せ方」を覚えたのだ。