あの子は女で、私も女で、だから友達だ。傍目から見たら普通の友達だし、きっとあの子は私を友達だと思っている。だけど私の気持ちがこの関係を歪なものにしてしまっている。

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私は友達以上の気持ちを、あの子に抱いている。
いつも目で追っているし、あの子の隣だとちょっとだけ緊張するし、会えないと寂しくて耐えられない。あの子と会ってから私は土日が嫌いになった。
それだけの気持ちを抱えていながら、私はこの感情が何なのかわからない。だけど私はこの名前もわからない気持ちのせいで、いつも苦しい。

私の友達たちはよく「推し」について話している。芸能人のような会えない「推し」ではなくて、クラスや学校内の会える「推し」。いわば憧れのような存在。
「可愛い」「今日は見れて幸せ」。そんな言葉を重ねる友達たちにある日言ってみた。私はあの子が「推し」だと。言葉にしたらそうなるかもしれない、と思った。だって「推し」のことを話す友達たちは本当に楽しそうだったから。
友達たちは私が「推し」と仲が良いことを羨ましがった。だけど、あの子への気持ちに名前がついたって私は全然幸せになれなかった。私とあの子が話す度に、「よかったね」と言ってくれる友達たちに下手くそな笑顔を向けた。私は「推し」と近づけても全然嬉しくなかった。

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秋のある日、ある友達が同性の友人と付き合い始めた。それを幸せそうに話す友人が、あの子の親友以上に羨ましかった。だから気づいた。
あの子は「推し」じゃない。私は可愛いと言って、遠くから見てるだけでは満足できない。あの子と関わりたいって思ってしまうし、あの子に愛情の見返りを求めてしまう。こんなの全然「推し」じゃない。

あの子は進学で家を出る。私の住んでいる県から、新幹線で数時間かかる地に行く。
私はもちろん、あの子を引き止めることはできない。あの子の親友だったら、いつでも会いに行くことが出来るのかもしれない。でも私はそうじゃない。だけどあの子はそれを親友ではなく私に一番に教えてくれた。それが嬉しくて悲しかった。
その話をされた時、私は「遠くに行っちゃうの寂しい」と言った。気持ちを悟られるのが怖くて「可愛い」すら言ったことのない私が、初めてあの子に好意を示した言葉を言った。あの子はいつもみたいに笑った。そして「会いに来てよ」と言ってくれた。

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二人で遊びに行ったこともない。些細なLINEも滅多にしない。でも、私しか知らないあの子の秘密はたくさんある。
あの子は私をとても信頼してくれている。「大好き」と言ってくれる。そんな存在でいられることはすごく幸せで、だけどちょっとだけ不幸だ。

私はやっぱり自分の気持ちがわからない。だけど制服じゃないあの子を見たい。明るく染まるあの子の髪を見たい。春になってもあの子の隣にいたいという気持ちだけは絶対に変わらない。

私はいつも幾つも感情の間を揺らいでいる。
ある日は、このまま友達でいれたらそれで良いと思う。ある日は、あの子が幸せそうならそれで良いと思う。ある日は、私以外が隣にいるのは嫌だと思う。
全部があの子の知らない私の本心だ。だからあの子は、私の「友達」で、「推し」で、「好きな人」だ。
社交辞令でもいい。とりあえず今は、あの子の「会いに来てよ」を信じている。