ちょくちょくエッセイに出てきている5年付き合っている彼氏と私は、この度、恋人ではなくなる。と言っても別れたわけではない。同居人になるのだ。2023年より同棲を開始することになった。

15年の長い付き合いになるが、生活を共にすることで、知らない一面も出てくるだろう。私の寝言がうるさくて文句を言われたり、料理は好きなくせに洗い物が嫌いな私のだらしない所を見られて幻滅されるかもしれない。はたまた逆に彼氏に私が注文をつけることもあるのだろう。

二人の生活と関係性のこれからは未知数。だからこそ真っ白なキャンバスを前に私はワクワクしている。

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今日は同居人となる彼がどんな人なのか、紹介していきたいと思う。私がまよなので、仮に彼をケチャップと呼ぶことにしよう(にんにくを心の底から愛する彼は「えー、俺にんにく醤油が良い」とか言いそうだが、無視する)。

ケチャップはどんな人なのか。
まず思い浮かぶのは、異常に用意周到な人だということだ。
付き合って2か月目のゴールデンウィーク、箱根へ旅行に行った。ゴールデンウィークの箱根は恐ろしいほどの人出。大涌谷へ向かう私たちが乗っているバス車内もとても混んでいて、道路は渋滞で進みは遅かった。そんな中、前に座っている夫婦が抱いている赤ちゃんが、ぐずついて泣き始めた。

混んでいる車内で急いでミルクを用意する夫婦。なかなかミルクは完成せず、赤ちゃんは一層激しく泣いている。遠目から見ていると、どうやらミルクの温度が冷めないみたいだ。可哀そうだなあ、と私は思うだけだった。その時だった。

「これ使いますか?」
いつの間にか夫婦の下へ移動していた彼が、笑顔で何かを差し出している。え、何だろうこれ、と一瞬不思議そうな夫婦。すると彼は続けて「冷えピタです。ミルクの温度高いのであれば、これ貼れば冷えるかもしれませんよ」と言った。

彼を眺めていると「ありがとうございます!」と夫婦から深く感謝されている。「困ったときはお互い様です」と言った彼氏は、ニコッと笑いながら、続けてこう付け加えた。
「こういうこともあるかと思って、いつも持ち歩いているんです」と。

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私はこみ上げてくる笑いをこらえながら思った。
どんなことの、なんのためだ、と。
渋滞の満員のバスの中で、赤ちゃんのミルクの温度を下げるために冷えピタを持ち歩く。彼も私も高熱を押して旅行しているわけではなかった。そして私たちは医療者ですらない。彼はシステムエンジニアだ。なのに、なぜいつも冷えピタを持ち歩いているのだ。

なんのリスクヘッジをしているのだろうと、笑いがふつふつとこみ上げて、人助けをした彼氏を素直に誇らしく思う感情を邪魔した。

今回の同棲や引っ越しの一連の準備にしたって、異常に段取りよく用意周到だった。私は彼が同棲3回目あたりか人生3周目なのではないかと、本気で
怪しんでいる(もちろん同棲は初めてだし、人生についても恐らく1周目なのだと思うが)。

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次に、そんなにもしっかり者のくせに、ベースは小学5年生だということだ。
好きな食べ物はカレーとラーメン。好きなTV番組は仮面ライダーと巨人戦とプロレス番組。その他に関しても基本的には「小学5年生の男子が何を好きか」と考えれば外れない。話も基本的に小学生のような下ネタがベースだ。
昨年、クリスマス旅行に2度目の箱根旅行で、彫刻の森美術館へ訪れたときもそうだった。

意外と言われるが、私はオーケストラ鑑賞や美術館巡りが好きで、一人でもよく訪れる。しかし、ケチャップとは普段芸術系の話を一切しない。

初めての彫刻の森美術館に心躍らすも、彼と美術館は初めてで盛り上がるのかと、少しドキドキしていた。そしてええかっこしいの私は、同時に彼に芸術的知識を披露して、インテリジェンスな一面を見せようと意気込んでいた。

美術館に入って最初のブースでそのチャンスは訪れた。針金のように細い人形彫刻があったのだ。ジャコメッティだ。
「ねえ、あれジャコメッティだよね?」と言いつつ、彫刻に二人で近付いていく。表札を見る。ビンゴ。ジャコメッティだ。

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「まよ、よく知ってるね」と彼は感心した表情。「中学校の美術の教科書に載ってたよ~、確かスイスのアーティストだよね」と言いつつ、得意げな表情をしないように気を付ける。しめしめ、全ては計画通りだ。

「へ~、よく覚えてるね!美術の教科書と言えばさ、俺が覚えてるのはミケランジェロかな」と彼が言う。お、まさかのインテリジェンス返しか。
ミケランジェロと言えば、最後の審判か?天地創造か?それともダヴィデか?なんでも来い!受けて立つぞ、この勝負!と意気込む私に彼はこう続けた。

「ミケランジェロのダヴィデ像あるじゃん。あの裸像の。おれあれさあ、絵の大きさとかの比を調べて、計算したんだよね」
喜色満面に誇らしげに、彼は最後にこう言った。
「そしたら勝ってたの、あれの大きさ!凄くない?!」

ふふふふ、とふつふつとした笑いが私を襲った。ひとしきり笑った後、全身の力が抜けた。私がええかっこしいで彼に勝とうとしても、小学5年生男子の彼は、私とは全く別のところで戦っている。私がたとえ彼よりインテリジェンスの持ち主だとしても、この人には敵わない。私はプライドが高くて負けず嫌いなのに、この人に負けるのは悔しくない。だから、私たちはこれでいいのかもしれない。
「じゃあ、私はミロのヴィーナスよりグラマラスを目指そうかな」と精一杯のふざけを返すと、私たちはまた長いこと笑いあった。

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5年のうちの2度の箱根旅行だけでこのエピソードだ。いや実際箱根旅行でもまだまだある。いつでもネタが欲しいエッセイストの端くれとしては、もしかしたらネタの宝庫であるケチャップは最高のパートナーなのかもしれない。そんな彼との新生活を、初めて知る彼の新しい一面を、私はメモするためのペンを片手に、とっても心待ちにしている。

To be continued ! 続報を乞うご期待。