10年前の京都。
「高校の卒業式の日、2人でプリクラを撮ろう」
親友と交わした何気ない約束。未だに2人でプリクラは撮っておらず、果たされなかった約束のひとつだ。
夕暮れに照らされた東山。赤いバスを待つセーラー服の私たち。汗とシーブリーズが混ざった部活帰りの匂い。今でもずっと綺麗な思い出である。
『委員長』と『問題児』。私はすっかりお世話係に
彼女との出会いは、中学生になった春。
初めて目があった、というレベルでしか関わりの無かった私に、彼女はいきなり「ナタデココさん!」と叫んだ。私の名前を聞いて脳内でもじった結果そう言ったらしいが、お陰様で、その日から私のあだ名はナタデココさんになってしまった。のっけから困った女である。
当時の私はいい子だった。先生の話はちゃんと聞いたし、学級委員もやっていたし、真面目で成績もそこそこ。誰とでもそれなりに仲良くできる、いわゆる『委員長タイプ』だった。
それに対して親友はまさしく『問題児タイプ』。制服はめちゃくちゃ着崩すし、嫌いな先生にはとことん歯向かうし、授業なんて全然聞いちゃいない。そのくせに成績は常にトップクラスで、そのせいで同級生の反感を買うこともあった。
『委員長』と『問題児』がなぜか仲良くしているものだから、私はすっかり彼女のお世話係になってしまった。友達からいつもセット扱いされ、先生も彼女に用があると「○○どこおるか知ってる?」と私に聞きにきた(自分で探して)。クラスが離れた年も、教室の居心地が悪いと私のところに遊びに来た。
中高一貫校だったので、恐ろしいことにそんな関係が6年続いた。高校はクラスも部活も違ったが、特に用もなく一緒にいる日もあった。高校卒業から5年経った今ですら、共通の友人に「あの子元気なん?」と聞かれる。
誰からも「いつもお世話して大変やねぇ」と言われた。
部活の遠征の際は彼女の分まで電車の時間を調べたし(絶対遅れてくるから早めの時間を伝えていた)、購買のプリンを買うのに貸したお金は全然返ってこないし(3年分まとめて返された時は「手切れ金?!」と思った)、一緒に帰りたいと駄々をこねられてわざわざ遠回りで帰ることもあったし(それ用にバスの回数券を買っていた)、確かに色々振り回されて大変ではあった。
しかし、それらの労力では返しきれないくらいに、彼女と出会って救われていたのは私の方だったと思う。
完璧主義だった私の生きづらさを救った、彼女の人間力
先述の通り、私は小さい頃からいい子で委員長タイプだったが、同時にかなりの完璧主義でもあった。テストは絶対に満点を取りたい。漢字ドリルは見本と完全に同じ字を書けないと許せない。国語の教科書を音読する時は句読点以外で息継ぎはしたくない。
それは他者からの評価でも同じで、誰からも完璧と評されたかった。どの先生からも必ず「いい子」と思われたかったし、家族や親戚からも「自慢の娘」と言われたかった。
中学生になってからは、授業が難しくなったためテストで満点を取れなくなり、とにかくヤキモキした。当時言葉にしたことはなかったが、かなり生きづらく窮屈だった。
そんな私が『問題児タイプ』な彼女と深く交わり、彼女の人間的な良さに惹かれていくあの経験は、とてつもない価値があった。
「人からどう見えるか」は確かに大切だ。しかし、それは全てではない。
彼女はぱっと見は問題児で手を焼く生徒だったが、それは彼女の全てではない。
彼女は誰よりも努力家だ。
学校での授業態度とは裏腹に、自宅や塾の自習室での勉強量は凄まじかった。
私は数学が苦手で、「数学なんて元の頭が数学向きな人がするもんやろ」と思っていたが、数学がいつも満点近い親友がテストのたびにノート何冊分も演習しているのを知って、考えを改めた。あれは量をこなしてできるようになるものなのだ。怠惰な私は今でも数学が苦手である。
彼女は実はかなり情が深く義理堅い。
嫌いな人や、彼女のことを嫌っている人を相手にする時はそっけないが、仲のいい人にはすぐ抱きつくし、話していてとても楽しそうに笑う。私が何か思い詰めた顔をしているとなんとなく気がつくようで隣にいてくれるし、高校時代に面倒をみてくれた恩師とは今でも連絡を取っているらしい。
彼女の魅力はまだまだたくさんあるのだが、長い付き合いの手前、なんとなく照れるのでこれくらいにしておく。
もし彼女と出会わなかったら、「本当の気持ち」と向き合えなかった
中高の6年間、私にとって彼女と関わる時間は、自身の内面にある決めつけや思い込みを疑う時間でもあった。「こう見える」と「本当はこう」が違うかもしれない、ならばより本質を探すように努力をしたいと思った。
もし彼女と出会っていなかったら、私は今でも完璧主義をこじらせ、受験や就活という重大かつ曖昧な局面でめちゃくちゃに精神を病んでいただろう。自分のやりたいことや向いていることを見ずに、周囲の期待や知名度だけで進路を選んでいたことは想像に難くない。最後にどんな結果になるとしても、行く道々で「本当の気持ち」を尊重することは相当大切なことなのだ。
高校の卒業式の日。最後の放課後を2人で過ごした。
冒頭のプリクラを撮る約束を私は覚えていたが、言わなかった。
2人でプリクラなんて他の子とは何度もやったが、いざ彼女と初めてやるとなると小っ恥ずかしかったのもある。
しかし何より、進学のためお互い遠くの土地へ行くことが決まっていて、ここで撮ったら最初で最後、もう会えなくなるような気がして、言い出せなかったのだ。
彼女も少しは別れを惜しんでくれていたと思う。その日は暗くなるまで遊んで、京都タワーが明るく光るのをたくさん眺めて、JRの改札の内と外でたくさん手を振り合って別れた。
現在の私たちは大して連絡を取っていないが、それでいいと思っている。京都に帰る時は会えないか確認するし、結婚式には絶対呼ぶつもりだ。
時代や関わり方が変わっても、彼女が私の親友であることに変わりはない。