“You are so pessimistic(ペスミスティック).”
この聞きなれない英単語は、最近始めたばかりの英会話教室で、まだ出会って 2 回目のイギリス人講師に言われた言葉です。
帰宅中の電車の中、うつろにメモしたその英単語の意味を調べると、検索結果の最上位には「悲観的」の文字がでかでかと居座っておられました。

ネガティブ、心配症、マイナス思考――ペスミスティック。
正直、これまでの人生、もう何度この類の言葉をかけられたか覚えていません。
私は小さい頃から今日まで自他共に認める「ネガティブ人間」をさせてもらっています。

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「ネガティブ人間」は、例えば傍から見れば順調な状況にいる時こそ、その力を発揮することができます。
仕事がうまくいって周囲から褒められている時には「こんなに期待が膨れ上がって次失敗したらどうしよう」、気心知れる友達と楽しくふざけ合っている時は「本当は私の冗談に傷ついていたらどうしよう」などなど。良いことがあった時、嬉しいことがあった時は「その瞬間」に集中して喜べばいいのに、私たちぺスミスティックは常に「起きてもいない事」を危惧してしまう傾向にあるように思います。

せっかく良い事が目の前で起きているというのに、その先の憂いに心を支配されてしまうことは、とても惜しいことで、なんだか情けなくて、意味のないようなことのように思えます。ある一定の層の人たちからしたら滑稽で仕方がなくて、ひよっとしたらその人たちをイラつかせてしまう姿かもしれません。

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ところで、いつでも前向きでハキハキとした立派な人達に、あなたがこんなにクヨクヨしてしまうのは昨今よくきく、所謂「自己肯定感」が低いからだと指摘されたことがありました。
だから自信がなくてマイナス思考になってしまうんだ、もっと自分に自信を持て。
そうアドバイスされるたび、どうしても治らない自分の思考の癖を欠点として指摘されるたび、私はいつも、「なぜ自分はこんなにネガティブなのか」「どうすればもっとポジティブになれるのか」といつも落ち込んでしまっていました。
みんなが理想とする「ポジティブ」な人と自分があまりにもかけ離れすぎてきて、私は小さい頃からずっとそんな自分が情けなくて嫌でした。

しかし最近、友人との世間話の最中、またネガティブも拗らせて「彼氏出来たけど振られそうで不安」と話した際に友人から返ってきた「本当に彼氏のこと好きだね」の一言で、気づいてしまったのです。
「ネガティブ」なんじゃなくて、私の一種の「愛情のかたち」だったんです。

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何かを得た時に、または色んなことがすごく上手く行ってる時、そんな状況を失ってしまう事を恐れて悲しくなってしまうことはネガティブでも自己肯定感が低いわけでもペスミスティックなわけでもなくて、それは愛情表現で、私なりの幸せの証拠だったんです。
現状が終わるのを憂いでしまうのは、現状に満足している証拠とも言えます。ずっと続いてほしいから終わってしまうのを悲しむということは、悲しめるということは、すごく幸せなことなのだと気づきました。

私が目指すべき姿は、ネガティブ思考を脱してポジティプ思考になること、「嬉しいその瞬間」に集中して100%喜べるようになることではなくて、一見ネガティブ思考にみえる「なくなったらどうしよう」の感情こそが、私なりの「幸せな証拠」であると気づいてあげることだったんだと思います。
そう思うと私、「ペスミスティック」なままでもいいのかも。

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きっと感情と感情は一対で結びつくような簡単なものではなくて、何かを好きでいても、好きでいるからこそ怒ったり悲しくなったり憎んだりしてしまうから難しいんだと思います。それでもその感情の根源をゆっくりと紐解いていくことが大事で、そうしていけば結局辿り着く人間の感情はすべて、きっと、あたたかくていじらしいものなんじゃないかと思ったりなどしました。

こうやって小さい心のつっかえを一つ一つゆっくりとほどいていきながら、1つの年が暮れ、また新しい年が始まっていくみたいです。