「ご出身はどちらですか?」
よくある質問だが、これにはいつも回答に困る。というのも、これまでいろんな場所を転々としてきていて、自分のホームと呼べる地が1か所ではないからだ。
なので、今実家のある土地を答えることにはしているが、そこにどれくらい自分のアイデンティティや愛着があるのだろう、と考えたことも一度や二度ではない。

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物心ついた時にいたのは、父親の転勤先の山口県。両親は二人とも関東の人だが、私の記憶は山口から始まっていて、今でも私が素で話すときは山口弁だ。山口で幼稚園、小学校の9年間を過ごし、これまでの人生で最も長く住んだ場所になる。
だからといって出身がここかと言われると、甚だ疑問である。
両親がここの出身ではないので親戚もいないし、こんな幼い頃を過ごした土地なので知っているコミュニティも狭すぎる。幼稚園小学校とずっと一緒で、家も近かった幼馴染とは今も付き合いがあるが、逆に言えば今の私と山口を繋ぐものは彼女の存在以外にはほぼない。卒業した場所も、幼稚園や小学校ではインパクトが薄い。

小学校を卒業するタイミングで父親が呼び戻され、神奈川県に移った。父親の実家もあるし、私の家にとってはこちらがホームなので、山口に戻ることはないと言われて中学進学目前の私は絶望した。その時点の私という個人にとっては、まぎれもなく山口がホームそのものだったからだ。
ただ、今となっては、それまでの人生のすべてが詰まった場所をあとにするという経験を、比較的幼いうちにできてよかったなとも思う。

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慣れない地で中学生活を始め、最初の頃はイントネーションの違いや同じものを指す単語の違いを同級生に指摘され、時には笑われもした。それを逆手にとって自分から田舎者と言い張って周りになじもうとし、幸いにもいじめられるようなことはなかった。
最初は手紙のやり取りをしていた山口の友達とも次第に疎遠になっていき、神奈川でできた友達と普通の中学生活を送っていた。

そのまま近くの県立高校に進学し、中学高校と合計6年間を神奈川で過ごした。
今でも両親はそこに住んでいるし、私自身の本籍もここなので、出身を聞かれたら一応そう答えているが、当時はもちろん今となっても同じ思いにぶつかる。
神奈川出身というとだいたい「都会っ子」だと思われるけれど、前述のとおり私の子供時代の記憶はすべて山口だ。車移動が基本なので、電車に乗ったことなど9年間のうち社会見学の時しかなかったし、自然豊かな住宅街で育ったのでしょっちゅう山登り(岡登りくらいだろうけど)や虫取りをしていた。こんな子供のどこが都会っ子だというのだろう。

他の場所で日常を過ごすようになってからは、実家に帰るたび「帰ってきた!」と思うようにはなったが、都会の人だと言われるたび、私は本当に神奈川出身と言えるのか?と思っていた。中学や高校で出会った友達の多くは生まれも育ちも神奈川で、皆とは違う……とも感じた。

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次の転機は、大学進学だ。
同級生の大半は関東圏の大学に進学し、引き続き実家から通学する選択をする中、私は秋田にある大学へ進学を決めた。またしても親戚もいない、なにも知らない土地だ。
それでも、小学校卒業後の引っ越しの経験が活き、それまでの人生で一緒にあったものを全て置いて新しい場所へ行くこと自体はそれほど怖くなかった。今度は家族すらも一緒ではないという厳しさに、ほどなく気づくことになるのだが。
寂しくて辛い時期も1か月くらいはあったが、慣れてからは忙しいながらも憧れていたキャンパスライフを謳歌していた。

1年間の留学を挟んでいるので秋田で過ごしたのは通算3年だが、この3年間はそれまでの9年間や6年間に引けを取らないくらいに濃くて、印象に残っていて、なにより自分の人生にとってとてつもなく大きな意味を持っている。
幼稚園小学校の9年間で私という人間の基礎はできたと思うし、中学高校の6年間で自分とは何者なのかを考えたけれど、その後のたった3年間で「大人」になり、今のパートナーと出会ったり就職先を決めたりといった人生の節目に繋がるような出来事が多くあった。
だからこそ、そんな時期を過ごした秋田という土地も、今の私にとってひとつのふるさとのような存在になっている。

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気持ちとしてはホームだとしても、さすがに大学時代を過ごしただけの土地を出身地とは呼ばないと思う。それでも、留学先や就職先でどこから来たの?と聞かれた時は、直近いた土地である秋田と答えていた。
その場面では、自分の実家のある場所よりも、ついこのあいだまで過ごしていた、思い出も愛着もたくさんある土地を答えるのがふさわしいと判断していたからだ。それくらい秋田には思い入れがあるし、先日久しぶりに訪れた時には、当時の思い出はもちろん、その時の葛藤や気持ちまでもが鮮明に思い出された。
記憶が1番新しいというのは間違いないが、他に過ごしたどの土地よりも、蘇ってくる記憶の解像度と再現度が高かった。

そんなわけで、私の「ふるさと」はどこなのか正直わからない。きっとこの先もわからないままだと思っている。
これからどれだけ長く住んだ土地ができたとしても、出身を決める時期はもう過ぎてしまっている。山口、神奈川、秋田、このどこで過ごした時期がなかったとしても今の私がいないのは確かなので、聞いてくれる人には手短に話そうと思っている。