成長とは何だろう。
人間は一進一退を繰り返しているように感じる。少なくとも私はその1人なのだ。
何かができるようになったと喜んで、それができなくなった自分を責める。
朝早く起きて朝食を作り、本を読む。そんな暮らしが理想であり、できたときに満足感にひたる。そんな日々が何日か続き、自分は良い生活リズムを手に入れたと思っても、数日後ふと面倒くさくなって自堕落な生活に逆戻り。
そんな気分屋な自分に振り回されることはしょっちゅうで、どうしてこんなにも健康なのに体が動いてくれないのか、この鬱々とした状況を打開する策はないのかと何度インターネットで調べたことだろう。
結局、この状況で一番良いのは「なにもしない」ことらしい。
気分の波はやはりどうしようもないことで、ただじっと上がるときを待つしかないのだと思う。インターネットに書かれていることを読むことは実際、気休めにはなった。
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ふと日本の歴史に触れる場面があって、高校受験で覚えたことを必死に思い出そうとするが、全く思い出せない。調べて正解を聞いてもそんな単語あったなくらいの感覚になる。
こんな場面でも進化するけど退化もしているのだと気づく。
人間関係の面でもそれはある。人間関係において進化・退化と表現することは少々強引な気もするが、大きな枠でとらえたらそうなのだろう。
学生はさまざまなコミュニティに所属している。ゼミ、アルバイト、委員会やサークル、そこに加え友達同士のグループもある。どれか1つ頑張っていれば、共に頑張る人が友達となり親密な関係になっていく。そのコミュニティ内で自分の位置を確立できる。
しかし、そこに注ぐ力が100だとして、他には一体いくつの力を注げるだろうか。
余程器用な人は他にも100を注げるかもしれないが、多くの人は良くて80、場合によっては全くの0ということもあり得る。
大人になればなるほど経験が多くなって、考える要素が増えていくように感じる。
どれも妥協せず100の力でやることはできないから、どこか優先順位をつけて手を抜くところと全力でやるところを分けている。
でも手を抜いた先には、その場所には人がいて私に対しての不満を抱え私の位置はぐんぐん下がる。
たとえそうであっても、仕方がない。
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成長とは何だろう。改めて考える。
一歩進んでまた一歩戻ってしまう。同じ道じゃなくても、気づいたら違う道の方で一歩下がっている。
ここまで悲観的に書いてきたが、それらは全てポジティブな方にも考えられることを知った。
たくさんの研究を重ね、数々の知や技術を身に着けてきたエキスパートたちは、平等に死を迎える。その知や技術を何かカプセルのようなものに保管して「物理的に」継承することができたら人類にとってのどれだけの財産になるのだろう、そんなことを考えたこともある。それが可能だったら、また1から違う人間が学び直しという過程を省略して、先人が残したその時点からさらに深めることできるのではないかと考えたからだ。
しかし、違った。
本当の財産は、知や技術ではなく「成長」そのものなのだ。
そしてその財産はその人にしか生み出せないし、その人でないと価値を持たない。
ここで一番重要なのは、気付けるかどうかということである。
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私は、自分が気分屋であることを知っている。気分に波が出てしまうことを知っている。そしてそんな自分に対する対処の仕方も。
今となっては日本史を忘れてしまったが、今となり経営学を学んでいる。
コミュニティ内の活動も、100の方がひと段落ついたら80や0だった方を上げる努力をすれば良い。諦めず全力でやっていれば周りにもきっと伝わるはずだ。そしたら100だった方が90、80……と下がってしまうかもしれないが、次はまたそちらを上げれば良い。きっと人間関係もその繰り返しなのではないかと考える。
同じ友達とずっと一緒にいるわけではないが、ずっと離れていたらふと会いたくなる。
ゼミが忙しくてアルバイトのシフトに入れなかったら、今はゼミを頑張っていますと言うだろう。そしてゼミがひと段落したら入れなかった分、次の月はたくさん入るだろう。
一進すれば、一退する。しかし一退すれば、同じように一進もする。
それを繰り返して成長しているのだと気づけた私は何より強いのだ。
去年よりも、昨日よりも成長していると自信を持って言える。
それが、私が感じる私自身の成長だ。