今の仕事のきっかけを作った、仕事をこよなく愛するあの人

私は今、本業である会社員と並行して、ラジオパーソナリティやナレーターの仕事をしている。全国放送のラジオ番組や、音声配信プラットフォームのニュース番組が主な活動の場だ。
私はこの仕事をこよなく愛している。この仕事の魅力に取りつかれたのは、17歳のときだった。そのきっかけをくれたのもまた、自分の仕事をこよなく愛していたであろう人だった。

高校時代は、放送部に所属していた。この高校が650人ほどを収容できるホールを所有していて、放送部員は無料で使わせてもらえた。大きなハコで自分の声が響き渡ることに耐性が付いたのは間違いなくこのときで、非常に恵まれた環境だった。
ホールには、専属の技術さんが付いていた。身長は180センチ後半くらい、どんなに重いものでも軽々と持ち上げられそうながっしりとした体格で、肌は浅黒く日焼けした、コワモテの大男だった。

高校野球でアナウンスをする夢を叶えるため、放送部に入った

放送部に所属していたのは、夢があったからだ。夏の甲子園で行われる、高校野球の開会式のアナウンスをすることが夢だった。夏の高校野球の開会式と閉会式の司会は、例年高校生が担当している。NHKが主催している放送コンテストに出場した、アナウンス部門の1・2位が開会式を、3・4位が閉会式を任されるのだ。これがどうしてもやりたかった。
ただしそれは放送部に所属しているほとんどの高校生の夢だったので、果てしなく遠かった。挑戦できるのは、高校生の間だけ。チャンスは3回しかないのだ。

その3年間、私は足繫くホールに通い練習した。毎回ホールに行くと、かならずマイクのセッティングは終わっていて、技術さんは舞台裏で足を組んで座っていた。
私は舞台に上がり、同じ原稿を何度も何度も声に出す。鼻濁音、無声化、アクセント、イントネーション、意識すべき箇所があまりに多く、一つができたと思えば一つがおろそかになることの繰り返しだった。
技術さんは言葉少なに私の練習を聞いていたが、うまくできなくてうなだれていると、コワモテの顔をくしゃっとして、慰めてくれるようになった。練習が終わってホールを後にしようとすると「うまいねえ!」と短く声をかけてくれた。

初めての仕事の発注。初めてのギャラは、カルピスマンゴー

しかし練習の甲斐なく、私の夢はかなわなかった。あと一歩のところでの敗北だった。
努力って報われないんだ。この3年間はいったい何だったんだ。鬱々とした思いが私の心を覆った。
大会は終わり、挑戦は失敗し、目標を見失った。ホールにもいかなくなった。才能のない私が夢なんて見るべきではなかったのだ。アナウンスからは足を洗おう、とさえ思っていた。

するとあの技術さんが、私に仕事を発注してくれた。私にとってそれが初めての声の仕事の受注だった。ホールでよく使用する、開演5分前アナウンスを私の声でやりたい、と発注くださったのだ。
私は舞い上がった。自分の声が必要とされたことが、うれしくてたまらかった。

もちろんノーギャラのつもりだった。しかし技術さんは、お礼だといってカルピスマンゴーをおごってくれた。
ささやかな、それでも人生で初めてのギャラだった。アルバイト経験もなかったので、価値を提供して見返りをもらうこと自体も初めてだった。
飲んでしまうのが惜しくて、カルピスマンゴーにはなかなか手を付けられなかった。

目指した場所以外にも、情熱を注ぐ場所があると教えてくれた

本当は、プロでもない経験の浅い高校生にわざわざアナウンスを頼む必要はなかっただろう。きっとあれは、彼なりの愛だったのではないかと今では思っている。
あの時私が一番欲しかったものは、慰めでも励ましでもなく、夢やぶれ、持て余した情熱のやり場だった。目指していた場所のほかにも、その情熱を注ぐ場所があることを教えてくれたのは彼だった。

あの日からずっと、この情熱を注げる場所を探し続けている。そして今、あの日見た夢からは形を変えて、声を仕事にするという夢を叶えている。

あの日のカルピスマンゴーが、私を変えた愛なのだ。