わたしに生理が来なくなったのは16歳の頃だった。かなり嬉しかったのを覚えている。
個室トイレの中で、感激と喜びという感情に抱き込まれるという経験は後にも先にもこれっきり……な、気がする。
でもその嬉しさは刹那的なもので、すぐに妊娠していないかどうかで喜びは不安に変わった。ある程度、恋愛やセックスを経験していて、現実的にものを考えることができる女性なら皆そう考えると思う。
妊娠してはいないか? していたらどうする?
結果から言えば妊娠はしていなかったが、不安の代わりに訪れた、次の感情は安堵だった。
セックスにまつわる感覚全てが苦手で、誰にも触れられなくなかった
大学病院の婦人科を受診した際、医師は「あなたの子宮は小学5年生くらいで成長が止まっている」と困ったような顔で言った。
一応、困ったような顔をしておこうかな……という様な困り顔だったので、彼のことは今も何となく覚えている。
わたしが安堵したのは妊娠していないことに対してではなく、この医師による「子供は将来的にも望めないかもしれない」という診立てだった。
ラッキー、子供できないなんて願ったり叶ったり!という思いで幸せいっぱいだったのだ。
今考えても、まさに神の采配だったように思う。
わたしはもともとセックスとセックスにまつわる感覚全てが苦手で、できれば男性にも女性にも犬にも馬にも何者にも、性的な意味合いでは触れられたくなかった。触れ合いたくなかった。
16歳のわたしは、それから生理がこないまま20歳を迎え、またさらに年を取り、今に至っている。
性的マイノリティのコミュニティでの出会いが、財産になった
生理と無縁な年月を経るうちに、世の中にはアセクシャルと呼ばれる人たちがいるのを知った。
調べれば調べるほど、性的マイノリティの世界に引き込まれた。魅了された。昨日よりも今日よりも今よりも“その世界”に浸りきりたくて、性的マイノリティたちの集まるコミュニティにも参加した。
一種独特の、無機質で熱い息遣いで蒸せる“その世界”と、そこに流れる時間に陶酔した。
まあ今となっては『マイノリティであることを演出するために、計算し尽くした自分の演技』に酔っ払っていただけだった……と、はっきりと分かるのだけど。
それでも、その世界での理解者やカリスマ的な人種とも巡り合えたことはわたしにとって、相当、価値ある財産になった。
彼ら、彼女ら、またはどちらでもなくどちらでもある人々から、わたしはアセクシャルではなくノンセクシャルにカテゴライズされることを教わった。
それからマゾヒストでもサディストでもあるという、ある意味ポピュラーな性癖の持ち主であることも。
わたしにとって生理が来ないことこそが、勲章のように感じる
生理はわたしにとって、結局何だったのだろうと今でも思うことがある。
初潮が始まり、恥ずかしさで泣きたくなったこと。
親戚が集まり、お赤飯がふるまわれたこと。
体育の授業を見学することに抵抗感があり、学校そのものをサボったこと。
「生理なら、中で出してもいい?」と聞かれ、すっかり冷めきったこと。
なんかマイナスイメージってか、ネガティブな思いばっかりだねえ、今どき赤飯なんか炊くんだ?と、性別不明な人々に苦笑されたこと。
子供を持つ親のなかに、まるで我が子を勲章のように扱う人たちがいる。
見て見て、すごいでしょう、私って立派でしょう?子供を産んで女性は初めて評価されるべきなの……。
わたしにとって生理が来ないことこそが、勲章のように感じる。特別の思いがある。
生理が来ないことが関係しているのか、もとからそうだったのかは分からないが、わたしには母性が欠けているように思う
だが何故かその母性とかいうものは、わたしの場合、大げさに言うと人類愛にすり替わっているような感覚がある。
子供も大人も男も女もどちらにも、好きな相手にも嫌いな奴にでもやたらと愛情と愛着を感じる。
生理が来ない私って素敵でしょう?わたしらしいでしょう?評価はいらないけど、愛情は欲しいの……。
わたしの勲章は、「女性であることよりも息をする一つの個体であること」なのかもしれない。
わたしに生理は、いらない。