子供のころから、群れない性格をしていた私にとって、ふるさとは「ただ育っただけの場所」に過ぎなかった。
宮崎県の中心部。周りを山で囲まれて、一番近いコンビニまで車で20分かかるような田舎で育った私は、その町で唯一の小学校に入学。エスカレーター式で同じ町の中学校まで過ごしたが、小学1年生から中学3年生まで一度もクラス替えがない(それだけ学年の人数が少ない)環境で過ごしてきた。

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高校は同級生が近場の高校に進学を進める中で、私は県内で一番大きい私立を選んだ。親は「同級生は誰も行かないんだよ?あんた一人だよ?」と私が孤立することを心配してくれたが、私としては「だから選んだんだよ」という回答だった。
宮崎の田舎で育って、何も知らずに井の中の蛙で死んでいくなんて、とてもじゃないが考えられない。もっと外の世界を知りたいし、もっと多くの人たちと出会いたい。そうして私は親の心配を横目に私立高校に入学した。
大学はもちろん東京を選んだ。親は県内の国公立に行くと思い込んでいた分、上京したいことを伝えたら驚きはしたものの、心配を口にすることはなかった。
高3の夏、私は渋谷の短期大学に合格。晴れて翌4月から華の渋谷JDとなった。

しかし同時期にコロナウイルスが蔓延し、大学生活は丸つぶれ。オンライン授業と同時並行でオンライン就活を行い、内定を貰えたのが2021年の9月。家族と初めてZoomをつなぎ、生で内定を報告した。両親は見たことないほど大喜びしていた。
ところが2022年4月、新卒で入社したその会社は令和に珍しいほどブラックだった。長女で我慢強いほうだった私もさすがに耐えかね、9月で退職。新卒入社して半年も経たずに無職になってしまった。
不景気な世の中だ。今は繋ぎとして派遣で働けてはいるけれど、明日が保証されているわけでもない。毎日途方もない不安で、たまに寝る前に気分が沈んでしまう。そういうときは音楽を聴いて気を紛らわすことにしている。

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私のずっと好きなアーティストに嵐がいる。今は活動休止中だけど、今でも彼らは私の心の支えで、眠れない夜はシャッフルで彼らの曲を流す。
この前もそんな夜があって、布団の中で一人めそめそしながら嵐の曲を聴いていた。ずっと好きで慣れ親しんだ彼らの声は心を落ち着かせる。もう少ししたら寝よう、と布団をかぶり直したとき、ふと、「ふるさと」という曲が流れてきた。2011年、東日本大震災のときに作曲され、第80回 NHK全国学校音楽コンクール小学校の部課題曲にもなった歌だ。

今まで何度も聴いたことのある歌なのに、私はそのとき初めて胸が締め付けられた。「ふるさと」を聴いて、初めて泣いた。

宮崎にいるときはこの曲を聴いたところで、歌詞の意味をちゃんと聴こうともしなかったし、心に沁みることもなかった。上京して一人暮らしを始めても、元々一人が好きな性格だったから平気だったし、むしろ仕事を辞めてからはなんとなく帰りづらくなった。
でもその瞬間、その曲を聴いて、猛烈に宮崎に帰りたくなった。新しい景色を見たくて、自分から望んで地元を離れたはずなのに。
見慣れた景色を見たい、行き飽きたはずのお店や公園に行きたい、地元にいる家族や友人に会いたい。
ああ私、本当はずっと帰りたかったんだなあ、と「ふるさと」を聴きながら自覚した。

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不安感は退職したことだけじゃなかった。連日続く円安やロシアウクライナ情勢などの不穏なニュース、頻繁に起こる小さな地震、いつまでも終わらないコロナと今頃になると蔓延しだすインフルエンザ。今まで無視し続けてきた悲しさや寂しさまでもが一気に湧き上がってきて、平日の夜中に私は宮崎行きの飛行機のチケットを取った。
1月末までは今の派遣の仕事があるから、帰るのは2月だけど、それでもチケットを予約しただけで、私はこの冬を乗り越えられそうな気がした。

群れない性格をしていた私にとって、「ただ育っただけの場所」だったふるさとは、確実に私の「帰りたい場所」へと変わっていた。
嘘でも平穏な日々とは言えない世の中、私がいちばん心休まる場所はやっぱりなんだかんだふるさとなのかもしれない。