時は遡って高校時代。
通っていた高校のすぐ近くにあったラーメン屋。
店内の壁に、数々の名言が飾ってあった。
今思うとあのラーメン屋に出会えたことは、本当にラッキーだった。

……そういえば、なんであの高校にしたんだっけ。
家から一番近かったし、まあ入れそうだったから。ただそれだけ。
わたしの人生の決断なんて、まあいつも大体そんな感じで過ぎ去っていく。

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でもその高校にしたおかげで、それまで続けてたエレクトーンを高校卒業まで続けることができたし、おかげで今でも音楽が大好き。
あの時他の高校に行ってエレクトーンを続けてなかったら、こんなに音楽を好きじゃなかったかもしれないし、また違った人生だったかもしれない。その点でも本当にラッキーだったと思う。

今のわたしには欲しいときにいつも欲しい言葉をかけてくれて、いつもいつも支えてくれて、わたしの決断を後押ししてくれるお兄ちゃんたちがいる。
“Omoinotake” というバンド、ご存知でしょうか。

ギターレスのピアノトリオ。がっつり鍵盤を弾きながら高らかに歌い上げるキーボードボーカルと、メロディに寄り添うように踊るベースラインと、繊細でテクニカルに歌うドラムのサウンド。
3人がグルーヴを大事に演奏している姿、踊って泣ける楽曲たちに感銘を受けて。初めて聴いた日から、完全にわたしは彼らに首ったけである。

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そんなわたしは約4年前の就職を機に、彼らのストリートライブを見るために上京した。
社会人1年目。もちろん仕事は楽なことばかりではなかったけれど、お酒を片手にライブを観たら元気をたくさんもらえて、仕事のことなんて全部全部忘れて楽しめた。
彼らのライブが生きがいで、ストリートライブにもライブハウスにも足を運んだ。

渋谷のスクランブル交差点。渋谷の雑踏を何回走ったか。
「今日ストリートライブやるよ〜」ってSNSで教えてくれたら、仕事終わりにだって飛んで行った。到着したときには警察に止められてもう終わっちゃってた、なんてこともあったな。でもいいの。それすらも楽しかった。

徐々にストリートライブに集まる人が増えていって、遂にストリートライブが難しくなるくらい集客するようになってきたちょうどその頃、世の中にはコロナが蔓延し始めて、ライブハウスにもなかなか立ち入れなくなった。わたしは医療関係の仕事をしていたから余計に。

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元々アウトドアなタイプだったので、自粛期間中、家にいなければならないことが苦痛で苦痛で仕方がなかった。彼らの方が大変だったと思うけど、それでも彼らは歩みを止めずに、あらゆる手を駆使してわたしたちに音楽を届け続けてくれた。
ちょうどコロナを騒ぎ始めた頃に配信された「トニカ」の歌詞が自粛中に刺さって刺さって、今の一瞬も無駄にはできないな、と自粛期間中の原動力になった。

そんな自粛期間中に、本当にこのままでいいのかと自分の将来のことに悩んで悩んで。決心しきれないタイミングで発表された「産声」。サビの歌詞に背中をボンっと押されたような衝撃を受けて、悩んでたのが嘘かのように決心がついて。
将来の進みたい方向を定めて、学校に通い始めることができた。
学校を1年で卒業もできたけど、新しいこと、好きなことを知れることが楽しくて楽しくて、もっと詳しく勉強したいと思って2年目に進学。仕事もやめた。

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フリーになって3ヶ月。
前の職場がどうしても嫌だったわけではなかったけれど、フリーになって一気に世界が広がったから、今となっては本当に大正解な選択ができたと思う。

日々出会う人も違うし、おかげで価値観も広がるし。
わたしより人生経験豊富な方たちと毎日出会えて、それぞれ夢や向上心を持って頑張ってキラキラ輝いてて。
いろんな話を聴かせていただいて、わたしもパワーをたくさんもらえて本当に恵まれてると思う。

もちろんわたしにも夢があって、それらに向かっていろいろ模索中。
やりたいことがたくさんありすぎて、今やってることってあってるのかな、って悩むことはたくさんあるけど、きっとこの先全部が繋がってくるはず。

だって彼らも悩んだりもがいたりしながらも、直向きに音楽と向き合って、想いの丈を描き続けた結果、去年遂に「EVERBLUE」でメジャーデビューしたし、わたしだって高校時代のあのラーメン屋さんで出会った「死ぬこと以外はかすり傷」その言葉を今も胸に、毎日前に進んでる。

あの時のなんとなくだった選択だって間違いじゃないし、やっぱり人生無駄なことなんて一つもない。いつまで経っても青臭さを忘れず、今のどんな自分も、誇れるときがいつかみんな来ると信じて、今日も立ち止まらず前に進み続ける。