いつだって目の前のことに一生懸命だったあのときがあるから、今の自分がいると思う。

たしか5歳くらいのこと。当時はビデオテープをセットして、おしりが大きなブラウン管のテレビを観ていた。その映画は「ピーターパン」。簡単に言うと、ずっと子どものままでいる空飛ぶ少年の話だ。
少し前の映画だが、いとこのお兄ちゃんからもらったビデオテープは大事に使われて、ところどころ砂嵐になりかけながらもどうにか観れていた。

空を飛ぶことに夢を抱いていた当時の私は、その映画が大好きだった。
ただただ空を飛びたくて、ブランケットをマントにしてみたり、両手に布を巻きつけて自作の翼をつけてみたり、試行錯誤の日々を過ごしていた。
そして暇さえあれば、といっても5歳児には暇しかないので、外で遊ぶかテレビを観るかの二択に等しいが、その映画を観ていた。

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その日もいつもと変わらず観ていたが、ふと、もしかして自分も金色の粉を浴びれば飛べるのでは?と思ったのだ。
工作用にと押入れの中においてあった金色の粉をふりかけて、希望を胸にベランダへ出た。
当時住んでいた家は団地の2階。飛び降りてもケガで済む程度だろうが、大けがだろう。

隣のキッチンでは母が夕飯の準備をしていた。キッチンとリビングがふすまで仕切られている間取りだったため、リビングの音はキッチンまであんまり聞こえなかったようだ。こういうのを不幸中の不幸というのだろうか。

髪の毛に金色の粉がついた小さな私は、すいすいと空を飛んで移動する自分を想像して大きくてぶかぶかなサンダルを履く。ベランダの柵を登る。
が、無理だった。そんなにベランダの柵は低くなかった。
そしてキッチンから私を発見した母は、大急ぎで裸足のままベランダに出てきた。
怒るわけでもなく、笑ってくれるわけでもなく、平坦な口調でなにをしているの?と。

ピーターパンになろうと思って。

悪いことはしていないから怒るわけにもいかないし、面白がられるからまたやろうと思われてはいけないし。母親歴5年目だった当時の母は、少し悩んだもののとりあえず理由を聞いてくれた。

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この話は20年ほど経った今でも、私の家の食卓に登場する。
そういう日に限って作っていた夕飯は、カレーライス。
夕飯がカレーライスの日によく登場するのだが、我が家はやけにカレーライスが多い。
耳にタコができるというよりは、耳にカレーライスがまとわりつくという表現の方が適切な気もするけれど、とにかくよく話題になる。

当時、母は相当焦ったらしい。娘が落ちる、と。焦ると柵に明らかに届かないことは頭をかすめることなく通りすぎて、ベランダまで飛んできたらしい。驚きすぎて寿命は10年も縮んだ。返してほしい。と未だに言われる。

子どもながらに大きな夢と希望を抱いて、ベランダの柵をよじ登ろうとしたことは、その後の母による私の監視する時間を増やし、寿命まで縮めてしまったらしい。
今となっては笑い話になったからよかったものの、大人になってどれほど焦ったかと想像するだけで恐ろしい。お母さん、あのときはごめんなさい。