気が付いたら、三十路まで残り2歩のところまで来た。
中学生の時、授業の一環で将来の自分予想図を描いたことがあった。
大学を卒業してからストレートで教員になり、24歳で結婚。28歳で第一子出産。30代で一軒家を購入……。
まあこっぱずかしい夢物語を並べていたものだと思う。
現実は、結婚予定皆無・彼氏なし、なんなら恋愛経験もほぼなしと来た。ついでに言うと、教員になる夢は高校時代にとっくに諦めていた。
そんな私は、自分予想図にすら描かなかったことを数年前から企んでいる。

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「因島」という島をご存じだろうか。
今流行りの瀬戸内海・しまなみ海道沿いに浮かぶ、広島県に属する小さな島だ。
村上海賊や囲碁が有名で、その温暖な気候を生かしてはっさくの名産地にもなっている。
数年前から、その島に移住したいと密かに思っている。
きっかけをくれたのは、その島出身のアーティストと島の人たちとの出会いだった。

中学生の時、私はポルノグラフィティと出会った。
私の世代より少し上の人たちにどストライクなアーティストらしく、この人たちが好きという話をすると7割がた「渋いね」と言われる。
彼らこそ、私を因島移住へと心を動かしたアーティストそのものだ。
因島という小さな島から、大きく羽ばたいた2人組バンド。私は長いこと、彼らに人生を支えてもらってきた。

彼らと出会ってから、気づいたら干支が一回り以上も経っている。ファンクラブに入ってちょうど今年で12年。
12年もファンでいると、様々な人生の節目にもいつも彼らの存在があった。
受験の頃はもちろん、就職・転職活動の時にも彼らの曲を聴いてなんとか踏ん張っていた。

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そんな彼らのふるさと、因島。
彼らはもちろんのこと、ファンにとっても地元の人にとっても、この島は特別な場所だ。

数年前、彼らの地元近くの運動公園で野外ライブが開催されたことがあった。それはまあ島内はお祭り騒ぎだった(と思う)。
私もそのお祭り騒ぎに便乗して、因島を訪れたファンの一人である。
その日の夕方、ファンが集まる小さな菓子店を訪れたのだが、タッチの差で閉店時間となってしまっていた。
ところが、私がファンだと気づいたお店の方の粋な計らいで、店内へ入れてもらうことができたのだった。

つい先日、連休を使って因島を訪れた(もちろん、感染対策はバッチリして)。
今までは「ついでに」でしか訪れたことがなく、島内観光だけを目的として訪れるのは今回が初めてだった。

訪れるところ訪れるところで、受け止めきれないほどの温かい歓迎を受けた。
昼食で立ち寄ったカレー屋さんで、これからの行程について店主の方に相談した。
すると、因島(ほぼ)初心者の私にも分かるように、丁寧にアドバイスをくださった。
島の方々の優しさはそれだけではなかった。それは、とあるお店に立ち寄った時のこと。

そのお店はファンの中では特に有名なところで、ファン垂涎のお宝がたくさん飾られている。
店主の方が彼らのことを古くから知っており、私たちの知らない昔の彼らの歴史を教えてくれた。
そんな話を夢中で聞いていたら、気づいたら宿泊先近くへ行くバスを1本逃していた。次は1時間後だ。
どうにか時間を潰そうと思い、近くにあったコンビニへ向かうべくお店から出ようとした。ところが。
「次のところどこなん?店も終わりやし、送っちゃるよ」
と、初対面で全くの他人である私を、宿泊先の近くまで送ってくれたのだ。
どうして、いちファンの聖地巡りのためにここまでしてくれるのだろうというほど、たくさんの温かい気持ちを届けてくれた。

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そんな島の人たちの温かさ、そしてそんな温かさの中で育ち大きく羽ばたいたポルノグラフィティという存在に出会い、次第に私は因島へ移住したいと思うようになっていた。

そこに移住して何がしたいか、具体的にはまだ決まっていない。ただ漠然と「この島に住みたい」としか思っていない。
強いて言えば、私のふるさと・東北と彼らのふるさと・広島を結ぶ懸け橋になれたらなあ、とぼんやり思う程度である。
そんな話をすると、「いい歳にもなって現実離れしたことを考えているものだ」と家族に呆れられる。
移住生活がとんとん拍子でうまくいくほど、人生はそこまで甘くないとも知っている。
だけど、大好きな彼らが生まれ育ったところなら、なんとかやっていける気がする。
そんな移住ライフを夢に見ながら、今日も私は移住資金を貯めるためにパソコンとにらめっこをするのであった。