私は最近まで自分は全く進歩していない、成長していない人間だと思っていた。これからもずっとそうだろうと思っていた。
自分はひどくだめな人間だといつも思っていた。容姿もよくないし、第一志望の大学には受からなかったし、大学の勉強についていけなかったし、モテないし、片付けができないし、料理ができないし、車の運転はできないし、体が硬いし、愛想がないし、性格がすれているし、仕事ができないし、方向音痴だし、ニュースを理解できないし、葬式とかでうまく仕事ができないし……など、何にもいい所はないとよく絶望していた。
他人が自分よりみんな優れているような気がしていた。友達や両親からは、良いところはあると言われた。でも彼らはお世辞で言っていると思っていた。
このままじゃいけない。変わらなくてはいけない。毎日そう思っていた。日記を読み返すと自分がだめだということばかり書いてあった。
小学校の頃、合唱で歌った歌に「自分で思う程、君はだめなやつではない」というような内容の歌詞があった。その歌を思い出さないこともないではなかった。でも私の中には、世界は冷たくてだめなやつは生きている価値がないという強い呪縛があった。何も私の自己否定を溶かすようなものはなかった。
ところが最近、私は、自分はそれほどだめなやつではないと思えるようになった。
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きっかけはドイツ人の友達との話だ。その友達に励まされたわけではない。彼と湖の畔を散歩している時のことだった。
歩いていてふと、友達はおとなしいがやっぱり外国人だから自分に自信があるのだろうかと思い、こう尋ねた。「君は自分に自信ある?」と。彼はすぐに自信ない、と答えた。
私は以前から彼が料理をすることを知っていたので、「料理できるじゃん」と彼に言った。すると、彼は「自分だけおいしいと思っていて、他人はまずい料理かもしれない」と答えた。「料理褒められたことないの?」と聞くと、「あるけど、家族からだからお世辞を言っているんだと思う」と言った。その後、何を言っても否定で全部返ってきた。
私は彼が自分よりだめな人間のことが見えていなくて、上ばかり見て、だめな自分に酔っていると思った。そして私もそうだったと気づいた。
似たようなことを父から言われていた。でも心の底から納得することはできないでいた。その日、私は少しだけ体が軽くなったような気がした。
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私より駄目な人は、探せばたくさんいるはずだ。
容姿だって人類史上一番のブスでは恐らくないだろうし、私が行った大学に入りたくても入れなかった人はいる。大学の勉強も苦手だったが、なんとか卒業することができたし、全世界の誰からもモテないということもないだろう。
片付けは苦手だが、ゴミ屋敷ではない。料理も下手だが一応食べることはできるものは作れる。車の運転も下手だが通勤はできている。体ももしかしたら私より硬い人もいないではないかもしれない。
愛想はない方だが、人を傷つける態度はとっていない方だ。性格も全部がすれているわけではない。仕事も会社に大損害を与えたことはない。方向音痴だが生きるのに必要な目的地には今までちゃんと行くことができた。
ニュースは全部理解できないが、三個のニュース中一個は理解できる。葬式ではうまく動けないが大迷惑をかけたことはない。こんな風に思えた。
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私はこの小さい、いや大きな成長で、とても生きるのが楽になった。私はこのままでも十分生きていていいのだ。
すると、生きていくやる気が湧いてきた。いろいろやってみようと思ったのだ。
私は変われないのかもしれないと不安に思っていたが、思いがけず、変われた。私の未来は可能性に満ちあふれていると感じた。
明日はどんな私になれるだろうか。