推しの運動音痴を愛おしく感じた私。
「運動できない=カッコ悪い」と決めつけた自分が恥ずかしい。
私の現在の推しは、かなりの運動音痴だ。
歴代で好きになったアイドルや俳優は、めっちゃ運動できる人ばかりだったので、この状況は自分にとって、とてもレアなケースだ。
運動神経で選んではなかったけど、潜在意識の中で運動音痴な人を除外していたように思う。
だってやっぱり萎えちゃうから。
歌がうまくて好きと思って調べたのにダンスが下手だから嫌とか、演技が好きだけど学生時代の部活が帰宅部だったからとかで、「なんか応援しようと思ったけどやーめた」と投げ捨てていた。
まあそれは好みだし、自分もスポーツが好きで運動神経が良い人なら、推す対象として譲れないポイントだと思う。
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ただし私は幼い頃からメッチャ運動音痴だ。はあ?どの口が言うてんねん。
清潔感がなく身だしなみも一切気にしないおっさんが、「女の子はちゃんとお化粧しなきゃ失格だぞ〜!見た目が良くなきゃな〜」と言っているようなキツさを感じる。
ただこれには理由がある。
私はかなり運動神経が悪く、50m走は10代の頃でさえ10秒台だ。
中学校の時は「テニスの王子様」に憧れてテニス部にいて毎日練習したが、あまりに下手で硬式ボールを打ち込まれ追い出された。
学校で行うスポーツ体力テストはいつもDかE判定。一応籍はあったので、所属の部活に「テニス部」と記入したら、「この数値で運動部はありえないので記入ミスですよね?こちらで文化部として訂正しておきました!」と気を遣われた。なにしてくれとんねん。
体育の授業ではいつも叱られていたし、運動会の時期になると、できなさすぎて呼び出し居残りは当たり前だった。
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そしてこんな自分が嫌で嫌で仕方なかった。
もちろん周りからの「うわあ」「ダセエ」の目には耐えられないし、体育会系には本当に迫害されていた。
ただマジで運動ができないと団体競技では迷惑はかけるし、1対1でできるものでも球があちこちに飛んでいき、物を破壊することもある。
実生活でも困ることはたくさんあるし、努力して自分で筋トレしたり走ったりしても運動神経は改善しない。
私は、努力できない自分めっちゃクズすぎる、と思っていた。
運動できないやつはクズ。自分の身体なのになぜ平均的なパフォーマンスも出せない迷惑な人種なんだ自分は、と思っていた。
だからこそ自分と同じように運動音痴な人を見ると本当になにも尊敬できず、ドン引きしていたのだ。
歳を重ねて強制的にスポーツに参加させられる機会はほぼなくなり、自分も身体的な病気を繰り返していたため、運動音痴な他人をそこまでは蔑まなくなった。
でもやはり心のどこかで「うーん」と思っていた。
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しかし、現在の推し、今まで生きてきた中で1番の熱量を持って応援している推しが、運動音痴だと知ったときは、なにも引っかからなかった。
それどころか、「かわいいねえ!」と素直に心がにっこりした。
「体幹どこに行ったんや?」「手脚に関節というもの入ってないんか」というくらいお世辞にもかっこいいとは言えない、スポーツをしている姿を見て、とても癒されたのだ。
なぜか。
推しのことがあまりに好きすぎるので、「好きだったらなんでもいい」のかもしれない。
そもそも「可愛い」という印象で好きになったので、スポーツに限らず不器用でカッコ悪いところを見ても全て「可愛い!」に収まってしまうのかもしれない。
ただ、1番の要因は、「別に推しの運動神経を好きになったわけじゃない」からだ。
私は推しのアーティスト性やタレント性に惹き込まれた。
そこに運動神経の良し悪しは入らない。ダンスは得意ではないことが伝わってくるが、不得意なりにすごく頑張っている姿に心を打たれる。
そう、推しにはたくさん素敵なところがある。こんな素晴らしい推しを運動神経が悪いごときで「やっぱナシ」になるなんてありえないのだ。
そう考えたとき、私は今まで運動神経が悪いことを過度に気にしていたと思う。
運動神経が悪いというだけで、運動以外の全てもマイナス評価になる。
推しを見つけるとき以外もそうしていたような気がする。
「美味しい料理が作れる、でも運動神経悪いよね」
「絵が描けます、でも運動神経悪いよね」
「オシャレです!でも運動神経悪いよね」
このように、別にスポーツ団体を作るわけじゃないし、趣味も仕事もゴリゴリのインドア派なのに、なぜか必須条件にしていた。何の関連性もないというのに。
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きっと運動神経が悪いが故にトラウマやコンプレックスをたくさん植え付けられたせいなんだろう。
こんな運動音痴なだけで、真面目に頑張っていた、なにも悪くない人間なのに。
こんな人間を追い込んでしまうような状況を作ってしまう体育の授業や部活動の有様、スポーツで交流を深めることが大正義でオールオッケーという風潮など、これからどんどん変えていくべきだ。
当たり前のことだが、運動神経が悪いということからは、運動神経が悪いことしかわからない。
運動神経の悪い人間が「ダサい」「良くない」ではないのだ。
スポーツが得意でなければ、他に得意なことがたくさんあれば良いのだ!
そしていうまでもなく運動は嫌いだったが、今度推しのイベントに行くまでに痩せたいので、頑張って下手なりに運動をして身体を鍛える。
そう、自分のために人間は運動をするのだ。他人のためじゃない。