「なつめさんはいつも自分の後ろ姿を見てる感じだね」
N君が、自分でも感じていた私という存在の核心をついた。
そうだ、私はいつだって私の視点から物事を見ることができない。よっぽどのことがない限り、私の感情は私に動かされない。
「そう、私、人間とロボットの間みたいなんだ」
自分では何も決められない。でも優柔不断で意志がないわけではない。それは、私の決断の代わりに、あらゆるパターンを学習させられたロボットのように、私には世間で正しいとされる考えや行動がなんとなく分かり、私の後ろ姿を見る私がそれに従って何もかもを決めるからだ。

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でも、それで切り抜けられないことも一部ある。恋愛や将来の夢など、自分が幸せだと思える道が答えだと言われるような事柄において、私はめっぽう弱い。
頼りにしている世間的解答がないのだ。たまに動く私自身の感情に一本の筋が通っているなら楽なのだがそうはいかない。まるで、重さの同じ重りが乗せられ、止まりもせず、どちらかに多く傾くこともなく、いつまでも揺れているかのように、私の心は、人間の能力では見分けられないほどの誤差でいつまでも動いているのだ。

もしかすると誰だって感情というものは複雑で、ミクロの単位で揺れるものなのかもしれない。それでも、一番近い自分のことならミクロでも読み取れる瞬間を持っているという人もいるはずだ。対する私は、普段から後ろ姿しか見ていないために、そのミクロが分からない。
それなら別の方法をと、仮説を立て、それを検証することで感情を読み取ろうと試みた。けれど上手くいくはずがない。
仮説を検証するには被験者に仮説内容を知られてはならない。しかし、実験者も被験者も一人二役の私の場合、このタブーを避けるのは不可能なのだ。
結局どうやったって私には私の感情というものが分からない。それは誰にも言えなかった私の弱みだ。

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一通り私というものの行動原理と実験を聞いたN君は、明るく言った。
「だからなつめさんは言葉に乗せるのが上手いのか。俺はいつも、『なんか』ばっかりで自分の気持ちを表せなくてもどかしい思いしてるのに、なつめさんは自分のことだけじゃなくて、俺の『なんか』まで読み取って簡単に言葉にしちゃうんだもん。客観的に見る癖がついてるからできるんだよ。うわ、羨ましい」
お世辞でも下手な励ましでもなく、本当に羨ましそうだった。
「えー、私はN君が羨ましいのに。言葉にできなくても自分の中はカラフルで。それが本当に羨ましい」
意地を張っているのとは違う理由で素直にありがとうが言えない。でも返した返事は、私が本当に思っていたことだ。
「カラフルか、お洒落な言葉使いますね」
すかさず、彼が弾むように言う。

私は言葉に表すのが上手いのか。文章を書くことを生業とする人達には敵わないにしても、私が羨むN君に羨ましいと言ってもらえるほどには、言葉に感情を乗せられるのか。
自分のことが分からなくて悩むことも、苦しむことも沢山ある。私の心のキャンバスは空白だらけで大した色がないのに、それでも外に発信できる言葉があるというのか。
いや、違う。「それでも」ではなく、「だから」自分ではない誰かに伝えられる言葉を紡げると彼は言うのだ。

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19年の葛藤と失敗続きの研究の果てがこんなものだなんて思いもしなかった。成功した実験は一つもないのに、こんなにすっきりとした気持ちになれるなんて、思いもしなかった。
彼の言葉に救われていいのなら、私にとって文章を書くこと。それは、私のキャンバスに私だけの白がちゃんと塗られていると確かめ、白の上に白を重ね続ける手段だ。
救われた今、この瞬間も白を重ねるロボットであることに、私は少し胸を張ろう。