「なんでN君には言えるのかな」
「都合がいいからだよ」
返事を求めない私の一言を、彼は一刀両断した。

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N君とは同じ小学校に通っていた。私が私立の中学に進んだため、卒業してからは一度も関わりがなかったが、1ヶ月ほど前、彼が私のSNSアカウントにDMを送ってきたのを機に、毎週電話をするようになった。

話題は最近読んだ本や感動したこと、言葉の些細な意味や奥深さ、哲学的なことなどが主だった。
「頑張る」という言葉が嫌いだ。なんで同じ学校で同じクラスになっただけで下の名前で呼ばないといけないのか。最近の小説は読者に解釈を委ねすぎだ。
他の人には面倒臭い、変わり者だと思われそうで話せなかったことをたくさん話した。私達は理屈っぽくて、考えるのが好きなのだろう。

最後に会ったのは6年前。小学校の卒業式。しかも、私達は元々、特別仲がよかったわけではない。
けれど、家族より、恋人より、親友より、彼と話したいことがたくさんあった。

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でも、その日はいつものようにはいかなかった。その日、私は前週の告白の返事にノーと答えた。そんな言い方するつもりはなかったのに、彼氏もいるしと言い訳がましいことを言ってしまった。そこで初めて彼氏がいることを知ったN君は、もう電話はできないなと言った。

常識的なのは彼だ。でも私はN君ともっといろんな話をしたかった。焦った私は勢いで彼氏のことで悩んでいることまで話してしまった。幸せとは言い難いから電話しても問題ないみたいなニュアンスになってしまった。

違うのだ。ただ私はN君との電話は続けたい。それを続けたところで彼氏との関係がどうにかなるわけではないのだから。伝えたいことは明確なのに、それを補強するために口をついた言葉のせいでめちゃくちゃになってしまった。
そして、冷静さを取り戻したところで自分の情けなさを笑い飛ばせたらと放った一言に返ってきた矢が、冒頭の一言だった。

私の話を、都合がいい人だと思われていると捉えられたことがショックだった。そんなことを微塵も思っていなかったことが、自分のタチの悪さを証明しているようでもあった。

でも、電話越しだから当たり前なのだが、そんな私の動揺など気づかない様子で彼は続けた。
「小学校以来会ってない。お互いの今なんてほとんど知らない。だから何を話しても怖くないし、嫌になったらボタン一つで切れると思うからじゃない?俺はそう思うけど」
その口調からは批判めいた響きは感じられなかった。むしろ、何かを諦めたような哀愁や、気怠さをまとっていた。

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私がN君に抱いているのとは違う種類の「好き」を、N君が私に抱いているからだろうか。私はそれに応えられないくせに、あなたが必要だなんて主張したからだろうか。彼氏がいるのにそれを言わずにあなたとの電話を喜んで受けてきたからだろうか。

心の中にしこりを抱えたまま、会話は進んでいく。
「めちゃくちゃだけど、それが本音なんだろうね」
「うん。N君と電話したところで彼氏との関係に影響することはないし、したとして私の責任なんだから、そこは気にしないで」

やっと冷静に答えた私に、今度こそ矢が飛んできた。
「ずいぶんな綺麗事言うね」
非難しているような言い方だった。そうだ。彼は綺麗事が嫌いなんだ。今までの会話で、彼が綺麗事だと切り捨てていったことを思い出す。続けて言った。
「まあ、でも俺もしんどくなったらやっぱり電話しちゃうかもな。人生は長いんだから。時間潰さないと」

先ほどのしこりが形を変えていった。彼はこの世界そのものを諦めている。理想論イコール綺麗事。さらに彼の中でそれは嘘と結び付けられている。

「ダメ元だったから落ち込むと思ってたけど、なんか今複雑だわ」
彼が笑った。壊れた機械のように声を上げて笑い続けた。

私も同じ気持ちだった。彼が今、本当に笑っているのかは分からない。あらゆるものを諦めて、俯瞰して、時間を潰して生きている彼が、諦めずに伝えてくれた想いに私は応えなかった。

彼を振る前に、彼の虚しさに気がついていたとしても返事は変わらない。たとえ私に彼氏がいなかったとしても。でも、残ったのは諦めなかった恋心を諦めさせることになったという事実だけだ。

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いっそ、告白なんかしてこなければお互いこんな複雑な気持ちになんてならずに、いつもの議論の続きができたのだろうか。一瞬頭をかすめかけたが、そうはならなかっただろう。

私にとって彼が都合のいい相手であり、彼にとっての私もそうであるのだ。好きと伝えて振られたら、気まずくなったついでに私の存在ごと彼の中から消そうと考えていたのではないだろうか。都合がいいから告白できたのではないか。
告白そのものがいつもの議論の続きなのだ。誰にも話せない本音話の延長線だ。

でも、ふと思う。やはり私は振るべくしてN君を振ったのだ。恋人になんかなってしまったら都合の良い相手ではいられなくなるではないか。
互いの一人暮らしの部屋で週に一度、通話をする。この部屋は確実に私達の距離を隔てる。いわば砦だ。間違っても会ってしまってはいけない。代わりに、人から見ればつまらないだろうけど、私達にとって意味のある話をする。

さあ、都合の良い者同士、どうせなら有意義に時間を潰そうじゃないか。だからまた話そうよ。どうせあなたはそんなの綺麗事だと言いながら電話をかけてくるさ。いつか綺麗事が嘘ばかりでないと感じてくれるようになるまで、私は時々、嘘ではない綺麗事を言い続けるからさ。