私は幼い頃から「独り」で暮らしていた。
家族とは同じ家で暮らしていたけれど、同じ食卓を囲むことも、同じ時間を過ごすことも、同じ気持ちを分かち合うこともない家庭に育った。だからなのか他者と「一緒」に暮らすことはきっと窮屈で、私が私でなくなってしまうものだと思って生きていた。
しかし今では、隣に大切な人がいて、かわいいわんこと一緒に暮らしている。なぜこんなに自分の環境が、心境が変化したのか。

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大学卒業と共に念願の一人暮らしを始めた。
当時の私は実家で「独り」で暮らすことと、「一人」で暮らすことは私にとっては大きな違いはないと考えていた。それから転職、引っ越し、異動を経て、自分のやりたいことを「一人」でなんでもやってきてふと、疲れてしまったとき初めて「あぁ、『独り』は寂しいな」とようやく自分の気持ちに気づいた。
気づいてからは本当に寂しくてツラくて、苦しい日々だったがどうして良いか分からず混乱した。私は「独り」で暮らすことは知っていても、「一人」で暮らす方法は知らなかったのだと気づいた。

恋愛で何回か失敗して、今のパートナーに出会い、コロナ禍も背中を押してくれたようにトントン拍子に一昨年から同棲することとなった。同棲してから「『一緒』にいるとイヤなことが増えるだけではなくて、楽しいこともたくさん増える」のだと初めて体験することができた。

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これまでの私は常に相手の機嫌をうかがい、自分自身を使ってどこまで相手をもてなせるかを無意識に考えて振る舞っていた。だからなのか「一人」になるとぐったり疲れてしまって、「やっぱり『独り』が楽だ」と思って過ごしていた。
でも今では、自分だけでは買わないようなちょっと多くて高いお刺身だって「二人で食べたいな」と思って買えちゃうし、金曜ロードショーでジブリが流れていれば一緒にお酒を飲みながら「懐かしいね~」「バルス!!」なんて笑い合える相手がいる。わんこと2人で散歩をしてその日にあったことを語りながら歩くこともとても楽しい。
ふと、パートナーとわんこが戯れている様子を後ろから眺めていた時に「私がずっと欲しかった景色だ」と、心の中の小さな自分がとても嬉しそうに喜んでいるのを感じて「よかったね」と胸に手をあてて一緒に喜んだら何故か涙が溢れそうになった。

小さい頃の私は「独り」の家庭から抜け出したくて「一人」で生きることができるようにがむしゃらに努力して生きてきた。それも私にとっては本当に必要な時間だったのだと思う。
でも20代最後の今、ようやく誰かと「一緒」に暮らして穏やかに過ごせる自分に成りたいと願い、今を生きている。
全てが良いこととは限らないけれど、お互い不機嫌になってケンカしたり、傷つけ合ってしまったり。それでも一緒に過ごす人と過ごしていたいから、少しずつ自分が変わったり戻ったり。相手と過ごす上で私が変化してもいいし、私が私のままで一緒にいることもできる。揺れ動きながら今、二人と1匹で暮らす温かい日々を過ごしています。