「都会の人は冷たい」「人とのつながりが軽視されてそう」なんて言われることも多い。だけど私は、冷たくて、無関心なこの街を愛している。
生まれ育ったふるさとを捨てて、私はこの無関心な街で生きることを選んだ。そんな私を見て、「やっぱり都会に住む人は薄情だ」と思うだろうか。
私がふるさとを捨て無関心な街の住人になるまでの過程を少し覗いてみよう。
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とある地方の山奥にある集落で、私は生まれ育った。地域の人とはみんな顔見知りで、よく近所のおじさん、おばさんたちに遊んでもらっていた。子供も少ない地域だったからとてもかわいがられていた。
人によっては「地域の人と一緒に子育てができてうらやましい」「人とのつながりがあってあこがれる」なんて言うけれど、私は息苦しさを感じていた。
スクールバスで通う1学年1クラスしかない小学校、自転車で山を越さないとたどり着かない中学校、私が生きてきた社会はとても狭くて閉鎖的だった。すこし耳をすませば、声の大きい人たちのことを“みんな”と総称し、「あの子だけ“みんな”と違うから関わらないほうがいい」「あの子は“みんな”と比べて劣っている」と、聞きたくもない言葉が聞こえてくる。毎日毎日聞こえてくる。
私はそれにどうしても耐えられなかった。
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「よそはよそ、うちはうち」「所詮は他人の言っていることなんだから」なんて母は言ってくれていたけれど、私は耳に入り込んできた言葉たちを流し捨てることができなかった。行き場のない言葉たちは心の中に居座ることしかできなかった。そして、何度も何度も私の心をナイフのように刺した。私の心はボロボロだった。
“みんな”と一緒でいることが最優先事項で、少しでも人と違うことをすると疎まれる。どこもかしこも「“みんな”の意見を代弁しているだけ」という免罪符を使う人たちばかり。そんな小さくて狭い世界。優しそうで優しくない世界。
私にはこの世界の中では、息をすることだって困難だった。息苦しくて、息苦しくて、いまにも死んでしまいそうだった。私に力があるならば、こんな世界から出て行ってやるのにと幼い頃から心に決めていた。
そんな思いは無事、叶うことになる。私は高校卒業と同時に県外への脱出が決まった。
決まった時に周りの人たちからは、「実家からでも通えるところにすればいいのに」「親御さんの気持ちも少しは考えてみなよ」なんて言われた。
「“みんな”の意見の代弁」という免罪符の次には、「あなたのためを思って」という免罪符。次から次へと免罪符が出てくることに私は呆れた。それと同時に、ふるさとを捨てるという私の選択は間違っていなかったと確信した。
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両親には、「あんたの好きにしなさい、あんたの人生なんだから」と送り出してもらった。
ふるさとを捨てた私が選んだのは、都会と呼ばれる地域。近所に住む人の顔や名前を知らないし、マンションの隣に住んでいる人だってどんな人なのか知らない。街中ですれ違う人がどんな格好をしていても、どんな言語を喋っていても誰も気に留めることがない。そんな誰もが他人に無関心な街で暮らし始めた。
この街はちっとも息苦しくない。お気に入りのワンピースを身にまとい、派手なリップを滑らせる。大ぶりのイヤリングを揺らしながら、しゃれこんだカフェに入り、いつものカプチーノを頼む。お気に入りのナッツシロップが香るタンブラーを持ち、日の当たる席に座る。小さなノートPCを開き、自分の世界に没頭する。そうして今日も、この無関心な街の一部に私はなる。
無関心な街の一部になった私は、果たして薄情な人に見えるだろうか。