文章を書くのが好きだ。子どもの頃から、素直な感情を文章にぶつけ、周りの大人が関心をもってくれる事が嬉しかった。
小学生の夏休みは毎年、読書感想文を母親と二人で粘って書いた。文章を何度も直した。もう文を書く特訓だった。母も私も読書感想文には手を抜かなかった。原稿用紙はおそらく30枚は書いたと思う。

適切な言葉の使い方を教えてくれたのは母だった。伝えたい思いがある、しかしうまく言葉に出せない。
「心がわぁってなったような……花火が頭の中で爆発したような……三重の海岸で初めて見た大きな花火のような……ポップコーンが弾けたような、そういう『わぁ』ってなった気持ちを書きたい」
私が伝えたい事を母は読み取り、そんな擬音語ばかり頭の中で浮かぶ言葉を、正しく直してくれた。

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本格的に文章作りが好きになったきっかけは、母親の読書感想文の特訓から解放され、自力で取り組んだ、中学の夏休みの読書感想文の結果だった。
『レ・ミゼラブル』を読んだ。たまたま目についたから興味をもって読んだら面白かったし、ジャンバルジャンの生き方に感動したから、自分の気持ちを正直に文章にまとめてみた。

国語担当の教師が『レ・ミゼラブル』を読んだ事に凄く喜んでおり、何か賞に入った事も報告してくれた。賞に入った事より、文章で褒められた事が心底嬉しかった。それから文章を書く機会があったら、文章作りだけは手を抜かずに取り組んできた。

高校では新聞部に入った。情報を集め、句読点に気を付けながら書く記事はやはり面白かった。本物の記事が出来るまでに1か月かけて情報を集めた事もある。教育の内容を記事にしたくて、教育委員会にインタビューをした事もある。恐らく高校一番の思い出は、新聞部で新聞を作成した事だと思う。

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大学1年生になった時、ある講義の教授が「みなさんは字を書くのは好きですか」と質問した。賛成で手をあげたのは、私ともう一人だけだった。もう一人は「字は自分が頑張ったという証になる」と述べていた。

私は恥ずかしくて理由を言えなかった。だが、「自分が考えた事が、自分が鉛筆を動かせば、目に見えるのが面白い」という理由をもっていた。案の定それを友達に伝えたら「変だね」と言われた。面倒臭いより、面白いが先に出る文章作りってやはり素敵だな、と思う。

文章を書く、という行為は私の気持ちを代弁してくれる、人生に欠かせない行為だ。文章があれば、伝えたい事は何でも言える。

逆に人との会話が出来ない事が私の弱点である。会話はすぐに返す必要がある。しかもそれには相手を不快にさせない抑揚や身振り手振りがつく。うまく返事が出来ないとそこで会話は終了してしまう。興味が無いと捉えられてしまうかもしれない。頭の中で浮かぶいくつかの選択肢のどれが正解なのか分からない。
だが、文章は自分と自分の会話である為、何度も文章を書き直す事が出来る。誰も待たせないし、誰も不快にならない。

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今、就職をし、職についたが、やはり文章を書く仕事への憧れで通信制大学の文学部に所属している。

素直な気持ちを表す同級生の作品を見るのは面白い。文章を書く仕事は果たして自分に向いているのだろうか、個性は出ているだろうか、不安になる時がよくあるが、「文章を書く事が好き」という気持ちは、恐らく多くの人から才能がない、無個性、と後ろ指を指されても変わらないだろう。

また、今年は鉄道にもはまり、休日の行ける範囲で、ひえいに乗ったり、嵯峨野トロッコ列車に乗ったり、大井川鉄道に行ってSLに乗ったりしてきた。たくさん写真を撮り、自分のその時の心情や乗った時の感想を綴ったスクラップブックも作った。読み返すと乗った時の気持ちが蘇って面白い。
文章を書く、という行為は私の人生の一部である。誰に何を言われても文章作りへの情熱だけは捨てたくない。