ずっと関東を出ていきたくないと思っていた。
関東で生まれ育ち、親も友達も皆関東にいて、日本の大都会東京に通う、ということが一番幸せで恵まれたことなのだと思っていた。
状況的に、外の世界に出ていく必要が無かったのだろう。
井の中の蛙大海を知らず。

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大人になった今、私にはふるさとと呼びたい場所がいくつもある。
生まれ育った土地から出ていきたくない、ともがいていた頃は想像できなかったほど、私は引っ越し上手になった。
転勤や生活の変化に伴い、あれから新しい土地をいくつも経験し、逞しく、そして身軽になった。
おかげで日本各地に思い出が散らばり、その土地を訪れるたびに、あの時泣いたこと、苦しかったけど何とか日々を楽しもうと努めたこと、面白い人に出会ったこと、優しい人に救われたこと、素敵な毎日を過ごしたことを、愛しく切なく思い出し、あまりの懐かしさに街を歩くだけで涙してしまうようになった(私もいつの間にか年をとった)。

今の私には「おかえり」と包み込んでくれる街が、そして「いってらっしゃい」と送り出してくれる街がたくさんある。
そう、生まれ育った場所以外に、ふるさとと呼べる土地がたくさんできたのだ。
ふるさとと呼べるまで、その土地で生活を楽しもうと頑張った自分に改めて感謝したい。

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時間というのは面白いもので、どんなに苦しかったことも、いつの間にかどうでもよくなっていたりする。
俗に言う「忘れる」という人間に与えられた超能力が発動しているのだろう。
もちろん、私も人間なので、人を憎んだり、憎まれたり、二度と思い出したくもないと思う過去がある。
もう二度とあんな思いはしたくない、とか、もう二度とあんな場所にはいきたくない、と思ったことは何度もある。
私にとってのふるさとは優しい、あったかいだけのものじゃない。
私を成長させるだけの苦しさがそこにはあったが、強くなった今、そのふるさとにもう一度身を委ねてみたらどうなるだろうという興味も湧いている今日この頃だ。
人生短くはないので、いつかまた、どこかのふるさとで生の生活を送ってみたい。

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ここまで書いて改めて思うが、今の私は腰を据えて一つの土地に定住するタイプではない。
私の家族は身軽な方ではないので、一旦その土地を愛したら長く住み続けるタイプだ。
子供の頃はそれが正しいと思っていたが、どうやら今の私は生活拠点を転々として、移ろって生きることを選択したいらしい。
そうすることで発見したことだが、移ろって生活する、ということは、どこにいてもよそ者のような疎外感を感じながら、どこにいっても自分の家があるかのような親しみを感じる、という矛盾を抱える、ということだ。
寂しさと懐かしさを感じながら、これからも自分の行きたい場所、やりたいことに耳を澄ませて生きていきたい。

人生を冒険したい、と私は思う。
ふるさとはどんな時も私を快く迎えてくれて、快く送り出してくれる。
そんな安心感と距離感に守られ、支えられながら、今日も私は人生を楽しみたいと思うのだ。