私は20代後半になって、一年の目標を決めるのをやめた。

昔から目標を達成するために計画を立て、スケジュール管理をしてタスクをこなすのが好きなタイプだった。
夏休みの宿題は最初の2週間で終わらせていた。
そのため「今年の目標」をノートに箇条書きで書き出し、達成したらチェックをつけるということを10年近くやっていた。
年の終わりにチェックがたくさんついたノートを見返すと、自分が成長している気分になれた。
だが、今年の目標は「目標を立てない事」にした。

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3年前、私は海外へ移住するため沢山のタスクをこなしていた。
パスポートやビザを取り、住む部屋を借りて、職を決めた。あとは飛行機を取るだけというところにコロナウイルスが私の目の前に現れた。
私個人ではどうすることもできない変化の数々に太刀打ちできない日々だった。

私はなぜか新しい事や、去年とはステップアップしていなければ、成長のない年を過ごしたと思ってしまう。
だけど、それは本当に成長していないのか。
そもそも、人間は成長し続けなければいけないのか。
成長し続けているなら、無闇に怒鳴ったり理不尽な事を言う年寄りはいないはず。
みんな仏のような老人ばかりになっていないと筋が通らない。
人生のなかで波があるのは当然だと思えば、去年より今年がより良くある必要はない。
死ぬ間際に14歳の頃が1番大人だったなぁと思うかもしれない。
それでもいい。

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そしてコロナウイルスなどで自分の目標が途絶えてしまったのは私だけでなく、修学旅行にいけない学生さんや職を失った人、家族を亡くした人もいる。
「なんでこのタイミングなの?」
「せっかくの若い時期に挑戦するチャンスが無駄になった」
「コロナウイルスを蔓延させた人々や対策がなっていない政治家を許さない」
そうやって世界中が誰かや何かを責める空気が出来上がってしまった。
けど、そう思うのは簡単な事。
私は「コロナウイルスが私たちに教えようとしていることはなんだろう」と考えた。
きっと、地球が自分のことだけを考える人間を叱ってくれてるのかもしれない。
一度立ち止まるチャンスをくれているのかもしれない。
そう思えば私たちがやるべき事は他を責めることではなく、自分が本当にしたい事は何かを知り、他の都合を考えて思いやる事なのではないだろうかと思った。

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目標を立てていた以前の私はそれ通りに進まないと苛ついて、阻害してきたものに対し攻撃的な考えをしていた。
今年はタスクばかりに気を取られたり、自分の心の動きを無視せずに自分が何を感じて何に心が惹かれるかを見逃さないようにアンテナを張っていきたい。

強いて今年の目標をあげるなら、「アンテナを張り続ける」そのためには、自分自身のケアが大事だと思う。
ゆっくりお風呂に入ったり、ヨガをしたり、体に優しい食べ物を取り入れていく。
そして、消費とは投票なのでゴミが少ない物や、農薬の少ない食べ物、私利私欲のために服を買ったりせずに、地球の事を考えた商品を購入したい。