文章を書くことは、私にとって、私自身を保つことである。

いつから文章を書くことが好きだったのだろう。
いつから文章を書くことを生き甲斐にしていたのだろう。
気がついたら。
まるで恋に落ちるかのように、気がついたら、私のすぐそばにあって、なくてはならないものになっていた。

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初めて文章を書くって楽しい、と思えたのは小学校高学年の時。
私が書いた作文が、区の作文コンクールに選ばれ、学校代表としてスピーチをした時だった。
正直、どのような内容で、どれくらいの量を書いたかなんて全然覚えていないけれど、自分で書いた文章が大人たちに選ばれたという事実だけしっかりと覚えていて、それがとっても嬉しかった。

文章を書くことが好きな人は、文章を読むことも好きなんだろうな〜と私は思っている。
小学生の時から、ずっと私の得意教科は国語だった。
作品を読んで、感想を抱いて、それがテストに出て、点数になって成績になる。
こんなに私にとって得なことはない。
よく、作品は作者にしか本当のことが分からないじゃないか、と言うけれど、そんなことはないと思う。
確かに、作者にしか分からないこともあるにはあるだろうが、読んでいて大多数の人が抱く感想が似ているからこそ教科書になっているのだろうし、テストになっているのだと思う。
その上、国語では漢字や熟語なども学ぶことができる。
本を読んでいて分からない漢字や言い回し、それらを学べる国語という教科は最高であった。

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高校生の時も変わらず現代文、古典の科目が得意だった。
現代文の授業は、毎回作品を読んで、授業の終わりに、その作品の感想や解釈を自由に文章にするというものであった。

周りの友達は「書くことがない」「いつも同じような感想になる」と言っていたが、私はその書く時間が何よりも好きだった。
そして、授業の初めに、前回の授業の終わりに書かれた感想の中で良いものを3つほど先生が選び、書いた生徒とともにその文章が発表される。

私は、毎回選ばれていた。
これは誇張ではなく、本当に毎回。
仲の良い友達からは「また選ばれてるじゃん」と半分呆れたように言われていた。
恥ずかしい気持ちが20%、誇らしい気持ちが30%。
何より、文章を書くって楽しいという気持ちが50%だった。
書くことも楽しいけれど、それが評価されるというのは、とても気持ちのいいものだ。

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それからも、文章を書くことはずっと好きで、もっともっと書くことの根源を学びたいと思い、大学では文学部に進学した。
卒業論文、という単語は誰しもが聞いたことあるだろう。
何万字も書かなければいけない。
提出しなければ卒業できない。
そんな魔の物体。
「卒業論文なんて書くことない」
「こんな何万字も書けない」
「卒業論文がない大学に行けば良かった」
そんな言葉をたくさん耳にした。

ああ、もったいない。
そんな風に汲み取ってしまうことが、もったいない。
好きなことを自分なりの文章にすることができる。
こんなにも幸せな時間はない。

私は、古典が好きで得意であったことから、『源氏物語』のほんの一部を抜粋し、私なりの解釈を言語化したような論文を書いた。
この作業は本当に楽しかった。
文章を書くことは好きであったが、こんなにも時間をかけて書くことは今までなかった。
ただただ楽しく、やはり文章を書くって最高だな、と1人にやけていたことを思い出す。

私は現在、会社員をしている。
でも、いつか、文章を書くことを生業にしたい。
幼い頃から好きだったものを、これからも大切にしていきたい。
私が私を表現できる唯一の武器であるから。