ライターになりたかった。コラムニストに憧れた。文章を書くことを、仕事にしたかった。
でも、好きなことを仕事にするために乗り越える厳しさに向き合う覚悟までは、持てなかった。
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小学生の頃から、文章を書くことは割と得意な方だった。読書感想文といえば嫌な宿題の筆頭みたいに言われるが、どちらかというと私は絵日記の方が嫌だった。得意な文章で書くだけならすぐに終わるものを、なんでわざわざ絵に描かないといけないのか、と思っていた。
そんな読書感想文は6年間のうち何度か入賞したことがあるし、5年生の国語の授業で書いたファンタジー冒険小説がとても高く評価されたおかげで、年度末で異動される先生へのお別れの言葉を書いて全校生徒の前で披露する機会をもらったこともあった。作文で評価されたことで在校生代表という大役がまわってきたことがとても嬉しかった。
それでも、入賞した感想文を正式に教育委員会かどこかに出すためには先生の指導のもとで推敲が必要だったし、お別れの言葉ももちろん自分の力だけで書き上げたわけではない。その、人に口を出されながら文章を修正していく作業だけは好きになれなかった。
思えば、この頃から、自分の書く文章に過度な自信とプライドを持っていたのかもしれない。訂正されることに耐えられないのだろう。
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だから、他の誰の目にも触れない日記や手紙はよく書いた。手紙は裏紙で一旦文章を作り、日を改めて読み直してから自分で推敲をする。卒業などの別れのタイミングで、その時深く関わっていた人に手紙を書いていたのだが、読んだ相手が感激してくれることも多かった。だから、自分の文章は人の心を動かせるほど上手なんだと思っていた。
今でもそんな自信がないわけではない。だからこうして何度もエッセイを投稿している。文章を書くことも、それを人に読んでもらうことも、なにより自分が書く文章も、割と好きなのだ。
就職を考えた時、新卒でいきなりそんな仕事ができるわけはないと思い、一旦はメーカーの営業職として社会に出た。その後、転職を考え始めた時に、ライターが一つの選択肢として浮かんだ。
自分なりに調べて、会社員として働きながら編集者やライターとしてのスキルが身につくというライター養成講座を受けてみた。
そこで、「好き」を仕事にする厳しさを知った。
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文章を書くのが好きと一口に言っても、やはり仕事として対価をもらうからには、自分の好きなことばかり書いていればいいわけではない。人にインタビューをしないといけないこともあるし、自分が書いた文章が誰のチェックも受けずそのまま世に出るなんてことはない。
一度、その講座内の課題を通して、書くことを仕事にするのは、今は難しいのだろうと思ったことがあった。私の書いた文章のトピックが、出題の意図とずれていたことがあったのだ。
その意図を汲み取り切れなかったこともあって、私は自分の関心のある内容で書いたのだが、トピックがずれているというだけで内容への批評を全くしてもらえなかった。
これにはとてもショックを受け、怒りすら覚えた。同時に、この点に向き合う覚悟が今の私にはなかったんだと気づいた。
これが仕事であったら、意図とずれていたら対価などもらえるはずもない。甘かった。
仮に中身を見てもらえていたとして、こっぴどく批評されていたら、それはそれで心がポッキリ折れていたかもしれないとも思う。
前述のとおり、自分の文章へのプライドみたいなものがあるんだと思う。本気で仕事にしたいなら、まずはそのプライドを捨て去らないことには始まらないとも思っている。これこそ、「好きなことは仕事にせず好きなまま趣味としてやればいい」の骨頂だと思う。
その一件で一気に嫌になってしまって、その講座の修了課題は提出しなかった。
そんなわけで、一度はあきらめた文章を書く仕事。小さいことでも、いつか何かしらの形で仕事にできたらいいなとは思っている。