私はこの春、大学を卒業して社会人になる。
こんな書き出しで「私の宣言」というテーマのエッセイを書き始めてしまうと、大抵の人が「ああ、この人の『宣言』は、『社会人頑張ります』的なやつなのね」と受け取るかと思う。
勿論、仕事を頑張るのも「2023 私の宣言」だけれど、このエッセイに書くのは、それとは別の宣言である。
「今年一年、『かがみよかがみ』に、毎週欠かさずエッセイを投稿し続ける」。これが私の宣言である。私がこの決心をしたのは、去年の12月、自分の文章能力の低さを痛感させられる出来事が起こったためだ。
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去年1年間、私は就活と並行しながら、卒論の執筆に力を入れていた。
私が所属している学部は毎年、特に優れた卒論を執筆した4年生がその成果を発表する、「発表会」を実施している。その発表会に出場することを目指して、日々頑張っていたのだが、残念なことに私のその夢は叶わなかった。
出場メンバーが教授の口から発表された日、私は放心状態で大学を後にした。行きつけのラーメン屋でやけ食いをしたこと、家に帰ってから悔し泣きしたことを昨日のように覚えている。
しばらく泣いて少しスッキリした私は、Twitterを通して前々から存在を知っていた「かがみよかがみ」にエッセイを投稿することを決意した。
思えば昔から鈍くさくて飲み込みが悪くて、「苦手なこと」「できないこと」が人一倍多い子どもだった。しかし、文章を書くことだけは得意だと高を括っていた。発表会だって、自分の卒論だったら出られるだろうと心のどこかで甘く見ていたのだ。
しかし今日、私のその自信は粉々に砕け散った。
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もっともっと、文章を書ける人になりたい!
そのためには、日常的に文章を書く習慣をつけることが、手っ取り早い練習になると思った。
勿論、ただ書くだけでは駄目だ。決められたテーマを、決められた字数で、決められた日までに書き上げる。それを第三者に読んでもらう。このサイクルを繰り返す。要するに、卒論と同じだ。卒論はもう出したけれど、ついこの間までの、締切とにらめっこしながら文章を書き続ける生活に、私は自分の意志で戻るのだ。
興奮が冷めるのも待たないで、私は「かがみよかがみ」のサイトを開いた。
「かがみよかがみ」の存在を知ったのは、確か2年ほど前だったと記憶している。その時から漠然と「面白そうだなあ。いつか投稿してみたい……」と心の片隅で思っていたけれど、結果として一度もエッセイ投稿をしないまま月日が流れてしまった。
もし発表会のメンバーに選ばれていたら、有頂天になっていただろう。そして、「かがみよかがみ」の存在そのものを忘れて、発表会の準備をしていたと思う。
そう考えると、発表会のメンバーに選ばれなかったのも、何かのご縁だ。とりあえず、一番締切が近いテーマに合わせてエッセイを書いてみよう!
というわけで、私はエッセイ執筆のために、卒論を書いていた頃散々お世話になったGoogleドライブを立ち上げた。
ドライブが開いた瞬間に出てくる出てくる、卒論の構想に使ったメモに画像データ、自分を奮い立たせるちょっとした一言……さっきまでのブルーな気持ちがよみがえって、うっと胸の奥が詰まったけれど、もう終わったことだ。
卒論の資料から目を反らすと、私はまっさらな新しいドキュメントを広げた。
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1年後の私は何をしているだろうか。仕事には慣れているかな?初任給で家族にご馳走する目標は叶えられただろうか。大学生の今とは大きく異なる価値観を持つ、ほぼ別人みたいな人になっているかも。
どこで何をしているにしても、どうか忘れないでいてほしい。
22歳の冬の日に、1年かけて追い続けた夢が叶わなかったことを知った瞬間のショックを。
やけ食いしたつけ麺の美味しかったことを。
家に帰ってから悔し泣きしたことを。
そして、胸の奥から湧き上がった、「もっともっと、文章を書ける人になりたい!」という、熱い気持ちを。
卒論発表会に出られなかったショックが、「かがみよかがみ」への投稿を決心させてくれた。同じように、「かがみよかがみ」にエッセイを投稿するという経験が、1年後の私を、また新たなステージに導いてくれると思っている。
これから先も、文章を書くことは当分やめられそうにないな。
心の中でつぶやいて、今日もキーボードを打っている私の手を、窓から差し込む光が優しく照らしている。