私は、世間から見て、派手な見た目の部類になるらしい。
自分でも自覚がないわけではない。髪色は明るい茶色や金髪を好み、夏はオフショルダーなどの肩の出たもの、ショート丈のTシャツでお腹が見える服を着ることが多く、冬でもミニ丈のスカートやワンピースを着るほど露出がある服を選びがちである。
メイクもキラキラの大粒ラメが入ったグリッターや、少し長めのアイラインに明るめのカラコンをつけるのが私の毎日メイクだ。
周りの友達は私と反対に一見お淑やかな女の子らしい、可愛い見た目の子が多いこともあり、私の派手さが悪目立ちする。
さらに、見た目だけでなく、軽めの話し方や高めのテンションがこの派手な見た目のプラス要素となり、さらに私の印象を大きく左右させる。
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この見た目と話し方から、私の第一印象はよくないことが多い。
仲良くなった友達に私の第一印象を尋ねると、「怖かった」「ギャル/ヤンキーかと思った」「軽そう」などの悪印象にとれる言葉が出てくることがほとんどである。それだけでなく、日常的に「ギャルっぽいね」「キャバ嬢みたい」などの褒め言葉には受け取れないような言葉をかけられることもある。
私は、「ギャルみたい」という言葉には、「(ギャルみたいに)可愛い」「(ギャルみたいで)軽そう」という2つの意味があると思う。
前者の場合、自分が好きな自分でいるために自分に似合うメイクを研究し、露出の多い服を着こなすために体型維持に努めていることを認められたように感じ、褒め言葉として気持ちよく受け取ることができる。
しかし、後者の場合、ギャルの見た目やドラマ・漫画などによるギャルの典型的なイメージからきた偏見であるため、褒め言葉にはならない。
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私は、このような反応をされるとどちらの意味で言っているのか分からず、曖昧な気持ちになる。
仲のいい友達に言われれば、その関係性から、冗談で言っているだけで、見た目だけで判断されていないことがわかるため、気分を悪くすることは無い。しかし、関係の浅い人や初対面に等しい人から、そのような偏見だけでとやかく言われるのは不愉快だ。
その偏見をもとに、その後の言動をみられ、偏見に沿った判断をされる。高校時代には、実際に私は無関係のことでも、近くにいたそれっぽい見た目の私が怒られることもあった。見た目の偏見でしか判断しないのは、どうなのだろうか。
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また、最近の社会はルックスに厳しい。「足が細くて綺麗」「顔が小さい」「骨格診断に合った服装」「パーソナル診断にあったメイク」などのたくさんの暗黙の規定があるように感じる。全部余計なお世話である。
理想の自分でいるために、自分が満足できる体型で、自分が好きな服を着て、自分の好きなメイクをしている。自分の機嫌を自分で取っているのだから、それをなにも理解していない他人が口を出すのはおかしいだろう。
一方で、自分のベストな体型になる為に努力している人間に、自分の尺度で測ったベストを押し付けるのもおかしな話だ。本気で体型維持やダイエットを頑張っている人に対して「私から見たらもう十分細い」「もっと太ってもいいくらい」という言葉掛けはフォローにはならない。それぞれが自分の尺度で自分のベストを測っているのだから、それに口出しするのは失礼だ。
他人ウケを意識した結果、自分ウケが悪いのは自分のためにならない。自分ウケを大切にすることが自分を大切にすることに繋がるのではないだろうか。