もし今、目の前に百万円があったら、私は全額バッグに詰め込んで美容外科に向かうだろう。
私の百万円の使い道。それは「全額美容整形」一択だ。

身体は運動や食生活を頑張れば絞れる。髪型もセンスのいい美容師さんにお任せすればイマドキな感じになる。
では、顔は?
どれだけ高いコスメを買い漁っても、メイクの方法を勉強しても、鏡を見るたびに「ココが納得行かない」と思ってしまう。自分の中ではコンプレックスでも、他人からしたら羨まれる箇所もあるかもしれない。それでも、私自身が納得できなければ意味がないのだ。

「美しい女でいること」を人生のモットーにしている私にとって、見た目も中身も完璧を求めてしまう。周りからストイックだと言われても気にしない。幸せの価値観は人それぞれだが、私にとっての幸せは、「美しさを求め、美しさを手に入れること」なのだから。

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綺麗事抜きで考えを申すとすれば、生きていく上で美人は得をするのだ。周りからチヤホヤされ、一目惚れしたと告げられた恋は、永遠の愛に繋がる可能性も秘めている。

ここまで見た目にこだわるようになったきっかけはいくつかあるが、その中でも1番大きいものは「失恋」だ。「見た目がタイプではない」と言われ、思いを寄せていた人に振られた過去がトラウマになっているのだ。
そんなこと忘れてありのままを愛してくれる人を見つければいいじゃない、と周りから言われたが、私はどうしても忘れることができなかった。
その人への未練だったり、綺麗になってその人を見返したいという復讐心だったり、そういうものではなく、「綺麗になった別の自分」に会ってみたいと思ったのだ。見た目を否定されたことで自信が無くなり、「どうせ私なんて」と思い込んでしまう自分をどうしても変えていきたいのだ。
それが今の私ができる精一杯の抵抗。弱虫な自分に対する抵抗なのだ。

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見た目が全てではないということは重々承知している。でも綺麗になることで自信が湧き、笑える回数が増えるのなら、整形は決して悪いことではない。
あなたが綺麗だと思っているあの人やこの人も、本当は整形をしているかもしれない。それを知らないだけで、この世界は見えない努力で満ち溢れているのだ。
整形は決意の証。痛みを伴う大きな勇気。それを全否定する権利は誰にもなく、誰でも美しくなることができるのだ。
昔に比べ、美容外科は身近な存在になった現代。美容室感覚でメンテナンスに足を運ぶ人もいるだろう。美しさを保つにはお金と時間と努力と勇気がいるのだ。性別は関係ない。美しさを目指す人全員に言えることだ。

ボーナスが入るたびに整形を考えている自分。ダウンタイムを気にしてなかなか踏み出せずにいるが、いつか理想の自分に出会えるその日まで、私はこれから先も調べ続け、美しさを望むのだろう。
綺麗になり、自信が満ち溢れたその日には、きっともっと笑えていることを思い浮かべながら。