感情を表す代表的なパーツである、目。
目が死んでいる。
目が泳ぐ。
目を見開く。
感情表現を一つも使っていないにも関わらず、私たちはこの言葉を聞いただけで、人がどんな感情を抱いているのかを推測できる。
目の状態だけで私たちは感情を表現することができる。

そんな目を凌ぐほどの感情を表すパーツ、それが、口だ。
口角が上がる。
口を尖らせる。
唇を噛む。
目と同様、口も形だけで感情表現が可能だ。

それに加え、口には強力な武器、言葉を生み出す力が備わっている。
直接的に感情を表現できる言葉を持ち合わせる口は、まさしく無敵。
目は口ほどに物を言う。
この言葉からも、あの目ですら口には敵わないということがよくわかる。
口は感情表現の王、それ故にコントロールできないと口に飲まれることになる。

◎          ◎

マスク生活を始めて三年。
着用すること自体が当たり前の世界へと変わり、当初感じていた物理的な違和感も消え失せ、私はマスクのいいところだけを搾取している。
私にとってマスクというのは、感情をむやみやたらに放出しない便利な道具だ。

「睡蓮ちゃん、気づいた時にはもうポロッと出てるよねえ」
「ですよね、気をつけてるはずなんですけど」
「良くも悪くも感情豊かだもんね、もはや目だけで何言ってるかわかるもん(笑)」
会社でよくする先輩との会話。

私は自分の気持ちを内部に留めておくというのが非常に苦手な部類らしい。
いいことも悪いことも、一旦言っていいかどうかを考える前に発してることが多い。中学理科で学習した、いわゆる反射。私の感情は脳ではなく、脊髄を通過するようにできているらしい。

場の空気的に問題なければ大したことのない話だが、如何せんここで発しても大丈夫というストライクゾーンが人より広いために、時々間違えてしまう。
厄介なのは私自身、その場で発信してしまうことを悪いと思っていないこと。いつだって、しまったと思うのは言ってしまった後の周囲の反応を見たときなのだ。

◎          ◎

言葉だけでも割と周りをヒヤヒヤさせてしまう中、仮にマスクの着用義務が緩み私も含めマスクを着用しない生活が当たり前になった世界で、私は果たしてこれまで通り生きていけるのだろうか。

言葉で発する前に口の形だけで人を怒らせてしまうかもしれない。
マスクを外すというのは、これまで以上に感情を曝け出す危険がある。つい先日発表された、屋内でのマスク着用制限を緩める案の報道に、私は一人震えた。

マスクを外して人々の顔を見ること、私自身が顔を曝け出すこと自体は嫌ではない。たまにマスクを外した時に見る、会社の人の素顔に脳内補正してたなあ、と一人心の中でニヤけるくらいで、顔を見ることができるのは嬉しい。

私自身、自分の顔にコンプレックスがあるから隠したい!と言ったことはないため、顔なんてどうぞいくらでも見てくださいという気持ちだ。
何より、懸念事項と反比例するように、ポジティブな感情をより人と共有できるという意味では、私はマスクを外したいし、人々のマスクを外した素顔を見てみたいとも思う。

◎          ◎

ポジティブな感情は全力で、ネガティブな感情は一旦心で処理。感情コントロール力が子供のままの私が、社会からドロップアウトせずにいられるのは、周囲の人々のおかげだ。
ポジティブだけでなく、ネガティブな感情さえも素直に表現していることを肯定してくれる仙人のような人もいる。
非常にありがたいと思いつつも、社会には理解のある人ばかりではないのが現状だ。彼らの優しさに甘えてばかりいられない。

マスクを外して生活する、そんな世界が来る前に私の短所を少しでも克服するのだ。