貯めていたお年玉を使い切った。
ゲームを買った残りは結婚したときのために貯めておきなさい、と母親に言われ、貯めていたお年玉の百万円。

私の親戚は、割とまとまって住んでいる。
お正月、祖母の家には毎日親戚が代わる代わる訪れる。
だから祖母の家に居座ると、大人からお年玉を沢山貰えた。
「明けましておめでとう。久しぶり。元気だった?これ、どうぞ」
今、私にお年玉を手渡している大人は、自分とどういう関係なんだっけ。去年お父さんに聞いた気がするけど一年経って忘れた。
てか、この人の名前なんだっけ。しほちゃんだっけ。さよちゃんだっけ。

家に帰り、お年玉を開封してお札を数える。
総額が十万を超えたら、凄い年で、下回ったら、期待外れの年。
「今年は景気悪いなー。どんどん集まる人数減ってんのかなー」
それでも、学校の友達にお年玉の金額を聞かれ答えると、「親戚多くていいなー」と羨ましがられた。
親戚だけど関係性も名前も知らない。教えてもらったところで来年には忘れる。
親戚が多いところで、お年玉が多いことくらいしかメリットがない。が、小学生にとってはそのメリットはとても大きなものだった。

◎          ◎

二十歳になった。口座には貯金したバイト代と合わせて二百万円あった。
私は繰り返しの毎日に飽き飽きしている一方で、ニュースでは毎日、新型コロナの感染者と死者の数が報道される。
明日、私もその一人として死ぬのかもしれない。そう思うと、するかわからない結婚の為の資金を今、使い果たしたくなった。

私は結婚資金を元手に一人暮らしを始めた。
実家から出れば仕事とかに精力的になるかと思った。
けれど、毎日仕事に通っていると、先が見えない繰り返しの無駄な毎日に引き戻された。
明日死ぬかもしれないのに。
「繰り返しの毎日」から逃れるという理想の一人暮らしが黒く塗りつぶされた。
極力消費しなければひとまず働かずに済むくらいのお金があったので、体調不良ということでバイトをバックレた。
バックレた罪悪感で、対人恐怖と自己否定が悪化して鬱になった。
時間だけはあったので、無駄に工程が多い料理に挑戦した。近所の図書館に通った。ネット記事を徘徊した。
晴れた日には川に行って、日光浴中の上半身裸のおっさんの横で、セブンで買ったサンドイッチを食べながら、スマホをいじった。
大家さんにニートだとバレたらまずい、と思って活動時間をずらしたけど、普通に昼間遭遇しまくって毎回気まずかった。

気付いたら一年ほど経っていた。
繰り返しの毎日でも、自由で、誰にも文句を言われない。テレビがなかったので、ニュースサイトさえ見なければ毎日の感染者数も死者数もわからず、明日死ぬかもしれないと考えることが減った。
毎日、明日の予定がないので、誰かの濃厚接触者になってしまっても、私は全く迷惑じゃなかった。

◎          ◎

お金が尽きかけたので実家に戻った。
一年という期間は短すぎる。まるでサラリーマンの出張だ。
百万を使って何か成長したということも特にない。
でも、十数年先を見据えて貯めた百万を使ったことで、今日生きる意味を知れた。
スーパーに買い物に行くたびに、「あたし、生きようとしてるんだ」と、生を実感できていた。
減る貯金残高は、今日生きた証だった。

私はとても脆く、一度風に吹かれると、呆気なく崩れ落ちてしまう無力な存在であることを知った。
明日、風に吹かれる心配で今日を無駄にするくらいなら、明日風に吹かれても、今日を思うままに生きたい。
そういう生き方が自分に合っているのだろう。貯めたお年玉のおかげで、生き方を知れた。
今の私には、百万円の使い道が思いつかない。それ以前に、口座には十数万円しかない。
百万円の使い道ではないが、来年から新しいお金の使い道が増える。

親戚へのお年玉。
私も来年から年下の親戚にお年玉を渡す側の人間になるのだ。
ここで渡したお金が、日々のお菓子代に消えるのか、未来を見据えた貯金になるのかわからないけれど、とにかく、年下の子が、毎日楽しく過ごせますように。と願いを込めて渡すつもりだ。