私のふるさと。私にとってのふるさと。それを語るにはあまりに思いが溢れ出てしまう。
全てを文章で伝えられる自信がなく、自分の胸だけにしまっておこうとも考えたが今回改めて向き合ってみようと思い、書くことにした。

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私にはふるさとがある。私の帰る場所だ。
私のふるさとは茨城県という山も海もあり十分すぎるほどの田舎である。そんな田舎町で生まれ育ってきた私も18の頃に上京し、都会を見た。茨城と東京では同じ関東圏と言えどもあまりに環境が異なるので初めはギャップに戸惑う毎日であった。

いや、訂正しよう。初めは新しさと斬新さにワクワクし楽しんでいた。ふるさとを恋しく思うようになったのはちょうど1年間住み続けてきた頃だったと思う。

東京にあってふるさとにないもの。それは便利さ、娯楽、刺激。
ふるさとにあって東京にないもの。それは家族、海、空間。

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家族がいて海が近くて、大声で歌えてギターを弾けて。帰省の度に前日の夜は楽しみで仕方がなく、ふるさとを離れる前の日の夜は寂しくて仕方がなくなる。お正月に長期帰省した時は、外から帰ってくる度に家に待ってくれる人がいることに感動した。朝起きても人が居て「おはよう」を言えて、家族みんなで食べるご飯が美味しくて、部屋の窓から綺麗な星空を見ながら、「今日も楽しかったな」と思いながら布団に入った。そんな幸せな日々もまた終わると思うと泣きたくなった。
私はふるさとを、そこに住む人を愛しているのだ。

ここまで言うと将来Uターンをして茨城で就職すればいいのではないかと思われるが、自分の中では少し違う。
さて、そのまま茨城で生活していたら、今みたいに海を本当に好きだと感じただろうか。家族や地元の友人をここまで恋しいと思っただろうか。
私はそうではないと思う。離れているからより一層魅力を感じるのだ。

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恐らく、そこに海があるのを当たり前に感じていた。ずっと家族と住んでいたら一人暮らしをして自由になりたいと思っていただろう。飢えているからこそ少しのことで幸せを感じるように、今の暮らしには「ない」からこそ、ふるさとに「ある」ことが魅力に感じるのだ。私は幸せ者なのだ。

しかし、私はふと思った。
私にとって実家は「いつも帰る何気ない場所」から、いつの間にか「安心するからずっと居たくなる場所」に変わっていた。つまりどういうことかと言うと、ずっと居たくても"居られない"場所になってしまったっていうこと。

家族にとって、地元の友人にとって、私はただ「居る」というだけで価値が上がって、いつのまにか客人になってしまっただろうか?
そう思った時は少し寂しかった。けれど、家を出るとはそういうことなのであると思う。

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寂しさを感じてまでどうして戻らないのかと、改めて自分に問う。
先ほど、東京にあってふるさとにないものをあげた中に「刺激」があった。私はまだまだ成長したい。色んな刺激に触れて自分だけの知見を増やしたい。
もちろん刺激には良いものばかりではなく、時には避けるべきものにも遭遇するけれど、固い心と強い意志を持っていればそれには太刀打ちできる。

東京で色んな人に出会って、色んな自分を知っていけば世界も広がるのではないか。疲れたら休めばいい。翼を休めることのできる「ふるさと」が私にはある。あの家に家族がいて私を待ってくれている限り、私は1人でも頑張れる。
そう思う度に私は「ふるさと」をより一層好きになれる。