今、義実家への帰省や親戚との付き合いなどが見直されつつある世の中になっている。私はこの意識改革に、首がもぎれるほど縦に振って賛同したい人間の一人である。
なぜなら私の幼少期の経験が関係しているからだ。

最初に違和感を覚えたのは小学校4年生の時だ。法事で親戚が集まった時に、年に2回程しか会わない、名前も知らない禿げオヤジが私に向かって「おい、ビール!」と言ったのだ。
当然私の頭の中は真っ白である。

ビール?持って来いってこと?てかお前誰だよ。

疑問と暴言が頭の中で交差していると、これまた年に2回程しか会わないおばさんがビールを持って走ってきた。禿げオヤジはお礼を言うこともなく、さも当然のように受け取り飲み始めたからびっくりである。
なんとも言えない顔で禿げオヤジの頭を見ていると、おばさんは私に向かって「女の子なのに」と言った。
「女の子なのに。気が利かないわね。これくらいはできるようにならないと」と、さも正論のように言ってきたのだ。そして当然のように台所に連れていかれ、料理の下ごしらえや盛り付け、配膳を手伝わされた。

この経験で私が何より悲しかったのは、台所に女性しかいなかったこと、禿げたオヤジたちは一言もお礼を言わなかったことである。
まるで「女はそういうもん!」と言わんばかりの空気が流れていた。

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この違和感の正体は言うまでもなく女性軽視だと今では分かる。
漫画でもよく見る。台所に立つのはいつも女性で、男性はお酒を飲みながら待っているだけ、今はあまり描かれないが配膳などテキパキ動くお嫁さんは「気が利く」と言われる。実際テレビでも「日本の女性は積極的に台所に立って気が利く」と、どこかの国のプロデューサーが言っていた。
しかしハッキリ言うと、私はその考え方が反吐が出るほど嫌いだ。何が「台所は女性の聖域」だ。そんなものは神話に過ぎない。実際、何かお祝いごとがある度に私の母を含む女性はいつも疲れ切っていた。

料理ができないならせめて食器を出せばいい、飲み物も各自でもってくればいい、今となっては当たり前の考え方をさも「非常識人」のように私の親族は考える。母も例外ではなく、私が「自分で飲むビールくらい自分で出せよって話だよね」とつぶやくと、「それじゃダメなんだよ」と制止してきた。
きっと母は親戚が私のことを悪く言うのを避けたかったのかもしれない。母が嫁いだ時、積極的に台所に立つ嫁が気が利く嫁の条件だったのかもしれない。
しかし、「黙って台所に立ち、なんでも笑顔で応える古き良き日本人女性」は私には似合わない。
私は自分がモヤモヤしたまま台所に立って、イライラしながらご飯を食べたくない。お互いが協力して美味しい食卓を囲むことはいけないことなのだろうか。少なくとも今の不満ばかり漏れている台所よりよっぽど明るいのではないだろうか。
私は髪が明るかったり、ピアスを開けていることから、親戚一同に少し変な目で見られることがある。しかし外見が私を象徴しているように、この考え方も私を象徴している。
これが私なりの台所革命である。

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一歩下がって男性を立てるのではなく、私は一緒に歩きたい。同じ台所に立って一緒に美味しい料理を作りたい。2人とも料理が苦手なら、一緒に勉強して上達したい。お互いの得手不得手を助けて時には教え合い、生活をすることが私なりの台所改革である。
重くのしかかっていた「女は台所に立つもの」という呪いを、自分で解く時が来たのである。そしてそれを恥ずかしいとは思わない。歪んだ常識を歪んだままにせず、変えて行くことで歴史は変わってきたのだから。

この台所改革は今まで沢山の女性が考えて来たことであり、私一人が作りました!!とデカい顔をしようとも思わない。
心の違和感を文字として綴ることで、小さい頃の私を明るい台所へ連れて行きたいのである。
小さな小さな話かもしれないが、きっとこれからどんどん常識だった物が常識ではなくなっていく。その1つが台所問題だと考える。

座っていれば食べ物が出てくると思っている全てのオヤジ達へ、そのままでは未来ではもうあなた達が食べるものは無いかもしれない。
今のうちから警鐘を鳴らしておく。