親の仕事の関係で、私たち家族は転勤族だった。全部で6回。西は九州地方、東は関東地方まで。その中でも、小学校高学年の引っ越しから高校卒業までは同じ土地にいた。
初対面のトークで定番、出身地トーク。私は人よりターンが多くなってしまう。

例えば、「出身どこ?」って聞かれたとき、「大体、◯◯県!」って答える。すると、「なんで大体なの?」って聞かれる。「転勤族だったから」と答える。「じゃ~◯◯県は何年住んでたの?」には、「8年くらい住んでたよ」と言うと、「8年も住んだならそこが出身でしょ!」って言われる。
私もそう思っていた。出身は、ふるさとは、一つに絞った方がいいと。
でもそうではない、そうとは言いきれないと譲らない頑固女になった経緯を語らせていただく。

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幼い頃は引っ越しが当たり前だったし、新しい土地に行くことも、不安より期待の方が大きかった。
でも小学校高学年くらいから、「ふるさと」というものに興味を持つようになった。きっかけは恋愛ドラマだったと思う。

王道パターンの「幼なじみ」から始まる恋。幼なじみを気づいたら好きになるパターンにキュンキュンしてた。やっぱりふるさとには幼なじみが付き物だよな~と思った。
ふと、自分にも幼なじみはいるのだろうか、と疑問に感じた。もちろん幼なじみと必ずしも恋仲になれる訳ではないことは分かっている。でも幼なじみがいるという事実が羨ましかった。周りの友達の、「あいつと幼なじみなんて最悪~」のことばも輝いて聞こえた。

小学校高学年のときの引っ越しは、九州地方から中部地方への移動だった。すると、話す速度も性格も思いっきり変わった。かなり戸惑った。 
もともと引っ込み思案で人見知りの激しい子だったけど、新しい空間に強制的に送り込まれるにつれて、人付き合いを覚えていった。転校生はいじめに合うリスクが高いからこそ、相手の機嫌を伺うようになり、愛想笑いと気づかれない愛想笑いが得意になった。だから「表面上」、大体の人と仲良くできる。

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心を開いてるふりして、壁を作っていた。だからこそ自然と、このまま前の土地に居続けたら、どんな人生が待っていたんだろうか……幼なじみに近い存在ができていたんだろうか……と考えるようになった。

前の土地の友達何人かと手紙を送り合っていた。どの手紙にも、「一生友達だよ」「いつか絶対会おうね」の言葉が綴ってあった。その言葉を信じて、大人になったらまた会えるって楽しみにしていた。手紙を送ってくれる子たちが私の幼なじみで、その子たちのいる土地が私のふるさとだとさえ思っていた。今の学校で自分を出せなければ出せないほど、前の土地への執着が大きくなった。

でもだんだん手紙を書いてくれる人は減る。親友と誓い合った子でさえ、書かなくなった。
私はうっすら気づいていた。どんだけ仲良くても距離が離れてしまったら、心も離れてしまうと。だから、自分を出せないこの土地が自分のふるさととなってしまうのか……とどこか悲しくなったことがある。

大学進学と同時に、家族で関東に引っ越した。また高校までの友達と縁が切れてしまうだろうと思っていて、それは仕方のないことと思っていた。
でも、そんな私を中学や高校の友達が「遊ぼ!」と誘ってくれた。一歩距離を置いて接していたから、ちゃんと楽しめるかなと不安だったけど、会ってみると自然と会話が弾むし、懐かしかった。壁を作っていたつもりが、何でも心のうちを話していた。

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きっと、自分を出せなかったのではなくて、自分を出さなかっただけだった。転校生はただの言い訳。大好きと思える友達とまた縁が切れるのが辛いから、仲を深めることから逃げていただけだったのだと思う。
距離が離れていたって、友達のままでいられる。大好きなのに、会いたいのに、その思いに気づかないふりをしてた。

大好きな友達のことを、大好きって思っていいんだ。会いたい友達に会いたいって言っていいんだ。大好きな友達は、この土地にもいたことを再認識した。幼なじみがいたっていなくったって、大好きな友達がいるこの土地が、私のふるさとだ。

……といいつつ、他の土地も忘れられない。
社会人になってお金をある程度もった今、今まで住んできたところを旅している。
最近は、小学校高学年まで通った母校を見に行った。15年ぶりだ。
見ただけでいろんな情景が思い浮かぶ。転校生を物珍しがられて、人生初めてのモテ期到来。毎朝半袖半ズボンの体操服で縄跳びをさせられた冬。腕力がなくて上れなかった上り棒。大好きな友達と喧嘩して、泣きながらの仲直り。楽しかったことも、嫌だったことも、思い出せる。

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私はもうこの地で繋がってる人はいない。それはやっぱり虚しい。でも知ってる景色を観ただけで思い出が次から次に蘇って、懐かしかった。
これってふるさとって呼んでいいのではないだろうか。ふるさとは一人に一つとありもしない決まりを自分で作って、自分を苦しめていた。繋がっている友達がいる土地も、いない土地も同じくらい大切な私のふるさとだ。

ちなみに社会人になって、転勤族で良かったとつくづく思う瞬間が多々ある。人よりちょっと多く土地を知っているし、ちょっとだけ珍しい経験をしてきたから、話の種になる。全部浅い知識だけど、幅広く対応できる。

あと引っ越した先でその周辺を家族で観光していたから、旅行好きという趣味をもらえた。周りの人間関係がコロコロ変わり、外で自分を出せなかったからこそ家族愛も人より強い。被害妄想をしてしまう自分も、ぐるぐる考えてしまう自分も、いろんな土地を回ってきたからこそできた自分だ。

やっぱり、長く住んだ土地をふるさととは言いきれない。きっと私にぴったりな言葉は、「ふるさとの一つ」だと思う。いろんな土地を味わったからこそ「私」になった。その土地すべてを「ふるさとの一つ」と呼ぶことにしよう。定番の出身地トークで、ターンが多くなってしまうけど、これからもこう答え続ける。
「出身は、大体◯◯県です!」と。