出身はどちらですか。
大学の入学式、初出勤の日、合コン、新しい取引先と初めての顔合わせ。初対面の人と会話する際必ず聞かれるこの質問に、わたしはずっと何と答えたらいいのかわかりませんでした。

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子供の頃から「出身地」という言葉に結び付く場所を探し当てることができず、その意味を何度も辞書へ探しに行ったことがあります。いわく、どうやら「出身地」とは「生まれ育った場所」、いわゆる「ふるさと」と同義語のようでした。
「出生地」のように生まれた場所を問われるのであれば迷うことは無いのですが、「出身」や「ふるさと」という育った場所を問われてしまうと、わたしは途端に口ごもってしまいます。それはズバリ、転勤族だったことが関係しているでしょう。

5歳で既に4回の転勤を経ているわたしは、もう幼少期の記憶なんてどの出来事がどの土地でおこった事なのかも覚えておらず、そんな朧げな記憶しかない土地を出身地として答えるのに(聞き手はそこまで気にしていないとわかってはいても)どうしても違和感がありました。

出身地トークというのは意外とどの場面でも盛り上がるもので、それを機に人と人との距離が近くなる場面を何度も目にしてきました。またそれは各々が自分の出身地にしっかりと愛着を持っているからこそなので、出身地を聞かれて迷ってしまうようなわたしからするととても羨ましく、同時にどこか切なさを感じる話題でもありました。

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わたしの出身地、もといふるさとはどこなのか。
この問いを改めて自分自身に投げかけた時、「ふるさと」の言葉が持つ温度感から連想される、唯一ひっかかった場所がありました。
そこはわたしが6歳から14歳までの期間を過ごした場所で、例えば懐かしい外の空気の香りをふと感じた時、自然と脳裏に浮かぶ場所はそこだったりします。
ですがそこは日本から海を渡らないとたどり着けない場所で、しかもなんと、わたしはもうその国の言葉を忘れてしまって話せないのです。

幼少期から思春期に及ぶ 8年もの月日を過ごした国を、日本に戻ってきて10年以上たってしまった私はもう身近なものに感じられなくなっていました。
小学校1年生から中学2年生の間、わたしはその国で色んなことを考えて、感じて、多感な毎日を過ごしてきたはずだったのに、日本に帰ってきてから時が流れるにつれ、8年間の日常は徐々に小さい頃に見た夢のように遠い記憶になっていました。

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つい先日幕を閉じたサッカーワールドカップ。なんの疑いもなく当然のように日本を応援している自分に気付いたときの切なさが、場が出身地の話で盛り上がっている時に感じる切なさと似ていると気づいて、思いました。

あの言葉にしようのない切なさは、思い当たる出身地・ふるさとが無いからではなくて、「あった」のに「なくなってしまった」ように感じていたからだったのかもしれません。
もうわたしとあの国をつなぐ唯一がわたしの心もとない幼少期の記憶のみになってしまって、あの国を「出身地」ましてや「ふるさと」と言い切るにはつながりが希薄すぎて。なんとなく寂しい気持ちがずっと心の奥底に、実はあったみたいです。

丁度そんな自分の気持ちに気付いたあたり、職場に新しい職員の方がやってきました。
日本ではなかなか聞かない、カタカナの氏名でその方が自己紹介をしたとき、周りの多くは珍しそうに眉を寄せていたけれど、私の頬は緩んでいた自覚があります。
彼女は私が8年過ごした国からやってきた人でした。
その方が着任してから数日後、嬉しさなのか、安心感なのか、とにかくどこか懐かしい気持ちが流れて、あなたの故郷に住んでいたことがあると思わず伝えると、その方はこう返してくれました。
「わかる気がします。あなたのオープンな空気感は、わたしの国にとてもよく似ている」

本当にそう思って言ってくれた言葉なのか、それとも気を遣ってそう言ってくれたのかはわかりません。ただ、私にはこの言葉が乾いた土に水がしみこんでいくように体内に溶けていって、とてもありがたいものに感じました。

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「ふるさと」を忘れてしまっても、普段特別意識をしていなくても。自分が育った環境や場所は、思っている以上に自分を構成している一部として常にすぐそばにいるみたいです。

あの国に住んでいたという事実は、忘れてしまっても、なくなったことにはなりません。そう考えるとなんだか、「記憶」なんてものはそう大したことではなくて、たしかにあの国で、8年もの間多感な時期を過ごしたという事実こそが、わたしの「ふるさと」である証なんだと心強い気持ちが芽生えました。

出身はどちらですか。
今後は迷わずに答えられる気がします。
たとえその国の言葉がわからなくなっていたとしても、その国はわたしをつくってくれたたった一つのふるさとだから。