世界は常に欲しいものであふれている。新作、期間限定、数量限定、これでもかと欲しいものを供給している世界。そんな世界の住人である私が、もしも100万円手に入れたら何が欲しいか。
私は、ルーティンの外に飛び出せる勇気とゆとりを手に入れたい。

「あなたの趣味は?」なんて聞かれても、私には答えられるような趣味も、行える時間もお金もない。無料で見られる動画サイトに、無料で見られるSNS。嫌いじゃないけど特別に好きというわけでもない。
空っぽな人間、つまらない人間。そんな自覚はある。けれど、今以上に趣味にお金も時間もかける余裕なんてない。
生きるために必要な、食事、睡眠、家事、労働。そして本業である大学生としての勉強。これらをこなすだけで一日が終わっていく。毎日同じことの繰り返し。だけれど、少しずつ、そして確実に死に近づいている日々。私はこんなルーティンの中から一歩外へ飛び出してみたい。

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先日、久々に祖母の家に顔を出した。家の中には祖母が作った刺し子や刺繍、編み物につまみ細工、たくさんの手芸作品が飾ってあった。
どれも祖母が一生懸命作り上げた作品たちだ。それを見て、小学生の頃はよく編み物や刺繍を教えてもらっていたことを思い出した。

「あれれ~?編み目が1つ減ってないかい?」と隣で祖母が教えてくれる。
「ええー!!どこどこ?」と私が聞く。
長い時間をかけて二人で編み続ける。祖母と一緒に手芸をする時間が私は大好きだった。そのことが、なんだか懐かしくて私の心は少しざわついた。

小学生のころは、好きなことをずっと好きなまま、大人になれると思っていた。むしろ、もっと自由に好きなことができると明るい未来を夢見ていた。
大人になった今、それは都合のいい幻想だと思い知らされた。大人になって私に課せられた生きるための義務は、私の中から子供のころのような自由を奪っている。好きなことを捨てないと、私は生きていくことが苦しい。
そう感じた日から、少しずつ私は好きなものを手放していたのかもしれない。気づいたときには、何も持っていない私が今を生きていた。

小学生の頃の私が今の私を見てどう思うだろうか。「こんな大人にはなりたくない」と思うだろうか。もしくは「これが大人なら私は大人になりたくない」と思うのだろうか。きっと大人というものに失望するだろう。
私は私自身に失望される生き方を変えたい。つまらない繰り返しの毎日から抜け出して、好きだったことを大切にできる人生にしていきたいと心に決めた。

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いきなり100万円なんて手に入らない。大きな変化は起こせない。けれど、1800円なら……と思い、私は刺繍キットを購入した。
祖母の家にあるような大きな作品はまだ作れない。けれど、1辺15cmの布と刺繍枠をしっかり自分の手で握っている。
小さな小さな15cmの枠の中を刺繍で埋められるほどの時間も余裕もないかもしれない。それでも、私は今手の中に好きなものがあることで何かが変わると期待している。繰り返しの毎日から抜け出せる予感がしている。

100万円が手に入ったら、新作コスメや、期間限定スイーツや、数量限定ジュエリーではなく、自由に使える時間を私は買うだろう。その時間を使い、毎日少しずつ自分の好きを取り戻していくだろう。新たに好きなことを探しに行くかもしれない。
“もしも”のことを考えることで、小学生の頃思い描いていたような明るい未来を思い浮かべることができる。今日も私は10分だけ小さな刺繍枠の中を埋める。
私がルーティンの外へ踏み出す第一歩だ。