皆さんは、将来の夢というものを持っているだろうか。あるいは持っていた夢を叶えたのか、夢は夢だと言って、全く違う現実を生きているのだろうか。
私には、小学5年生の頃から持っていた夢があった。

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私の将来の夢は、アナウンサー。
話すことが好きで、アナウンサーの人の綺麗な語り口に憧れて、「唯花ちゃんは、話が上手ね」と言われるたびに、「だって私、将来はアナウンサーになるんだもん」と心の中で胸を張って誇らしげにしていた。

高校生の時には、アナウンサーを目指す第一歩として放送部に入り、年に2回ある大会や校内アナウンスの為に毎日のようにアナウンス原稿を書き、読む練習をし、様々な場面で発表する機会があった。
高校2年生のときに弁論大会で入賞した時には、話す仕事、アナウンサーへの道が一歩近づいたと思っていた。
だけど、その夢は、あまりに呆気なく崩れた。

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大学生になって、放送同好会を作り、大学Nコンという全国大会を目指していた。
しかし私は大学生活にはあまりに不向きな性格をしていたようだ。協調性が無く、自己管理能力がなく、生活はあっという間に破綻。
泣く泣く大学を休学後、結局は中退した。

それでもまだ、アナウンサーの夢を諦めきれてなかった。だが、調べるごとに突きつけられる「四年制大学卒」「短大、専門学校卒」という学歴の壁。
ならば事務所に所属してそこから話す仕事の道に進めないだろうか、と思っていたが、一番近い事務所で二県隣。当時仕事が続かず転々としていた私には交通費だけでもかなり高いハードル。更にその事務所に所属したら、レッスン、研修費用。とてもじゃないが払える額ではなかった。

それならせめて、報道の裏方で働きたい。
番組を作る側の人間になりたい。そう思い、母親の反対を押し切り東京の面接まで単身、日帰りで行ったこともある。
それも不採用。別の会社にも複数応募していたが書類選考すら通らなかった。
心が、折れた。

ここまでの話を読んで、大抵の人はどう思うだろう。「努力が足りない」と思うのか、「ここまでやっても無理なら諦めが肝心」と思うだろうか。
私は私自身の努力が足りていなかったと思っている。それでも、当時の私にはそれが精一杯だったのだ。

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結局今の私は、話す仕事や番組制作などとは全く関係のない、ごくごく普通の事務員として働いている。
それが辛いのかと言われるとそんなことはない。仕事は楽しいし、周りの人も優しい。実家ぐらしだから経済的に困窮することもなく割と好きなことをやらせてもらえている。

それでも、ふとした時に心のどこかで物足りなさを感じるのだ。
TVのニュースで話すアナウンサーやバラエティ、音楽番組などの進行をしているMCを見るたびに、「私もあの場所にいたかったな」と、心のどこかから小さな声が聞こえるのだ。

でも、これが現実だ。夢よりも安定を選んだ私に他の夢を追い、叶えた人たちを妬む権利など無い。
きっと大多数の人たちは、子供の頃に憧れた夢をこっそりと宝物を入れる箱にしまい、見えないように封をして、「今の現実もさほど悪くはないさ」と呟きながら日常を生き、その中で日々の小さな楽しみや喜びを見出して生活するのだろう。私もそんな大多数の人間の一人で、どれだけ挫折しても夢を追い叶えるような強さのある一握りにはなれなかった。
その現実が、少し寂しくて、哀しい。

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それでもあの夢を追った日々は宝物だ。
宝物は日常的に持ち歩くのではなく、宝箱の中にそっとしまい思い出したときに時たま取り出して眺めるくらいが丁度いい。
そんなほろ苦い想いと共に私は現実を生きていく。夢は夢だと、今の生活が大切なのだと折り合いをつけ、今日も少し寂しい日常の中から楽しみを探して生きていくのだ。