大学時代、アナウンサーに憧れた。
当時、採用試験開始は3回生以降。インターンシップは2回生から開催されていた。テレビ局のインターンシップに参加できる人数もほんの一握り。その中で、光るものがある人への囲い込みも現実には存在する、と聞いたことがある。
アナウンススクールに1回生の夏に参加。恥を捨てる努力をした
「可能性が0ではない1回生の時期に、アナウンススクールに参加してみよう」
地方在住のため、都会に毎週通うのは非現実的。短期集中型の3日間コースのあるアナウンススクールに、1回生の夏に参加した。
参加者は私を含めて5人だった。現役アナウンサーの講話や、元アナウンサーからの滑舌やリポート、面接対策などを指導して頂いた。
最初は、他の受講者と仲良くなるのに時間が掛かったり、明るくハキハキと話すことができなかった。講師からの指導も、他の参加者より厳しかった。だが、「自分を変えたい」という気持ちが芽生え、恥を捨てる努力をした。最終日には講師から「この中で1番、成長しましたね」と褒めて頂いた。
3日間は、長いようで短かった。今後の課題が浮き彫りになったり、夢を口にすることの大切さを学んだ日々だった。「どうせ私なんか」とマイナスに捉えていたが、「1回生の頃からスクールに参加してすごいね」「遠いのに東京まで来たんだね」と、同じ夢を持った仲間に褒められて自信にも繋がった。
その後、採用試験前にも短期集中型の講座に参加した。愛のある厳しい指導や、試験対策を平等な目で行って下さった講師の方々、スクールには感謝している。
採用試験では、1社のみエントリーシートが通過し、一次面接を受験することができた。プロの面接官に「アナウンサーになりたいです」と伝え、その場で原稿読みの評価を頂いたのは貴重な経験だった。
だが、その後は良い結果に結び付くことは無かった。
ボランティアキャスター募集の記事を見て、直感で応募した
大学を卒業して、滑り止めの一般企業に就職した。社会人3年目になり、仕事にも慣れて、プライベートを充実させたくなっていた。
ある日、毎月ポストに入っている市報を読んだ。地元ケーブルテレビで、ボランティアキャスターを募集している記事があった。直感で「やりたい」と思った。
面接参加者は私1人のみ。求める人物像に遠くなければ、合格する確率は高いと推測しながらも、緊張しながら原稿読みなどを行った。辛口なコメントが続き、「これは落ちた」と思っていたが、採用の連絡が後日来た時には心底安心した。
1度だけ、ベテランキャスターの収録の見学に伺い、アドバイスを頂いた。その日学んだことを胸に、翌月には早速、キャスターとしてデビューした。
面接と見学以降、関係者からの助言は無く、研修などは一切行われていない。放送局側は「素人っぽさが、良い味を出している」という見解であり、キャスターの教育には注力しないのだ。
年に約6回の当番とはいえ、3年もすれば18回の経験。視聴した市民からは「上手だったね、見たよ」と声を掛けられることもある。
だが、ステップアップはできていない、と度々感じる上、教えを乞うには都会や都市部に行かなければならない。お金もかさむ。結局、上達しないまま経験値のみ上がっている。
あの時、勇気を出してスクールの受講を決断したから今がある
そんな中、モチベーション維持のため「根拠のない自信」を持って、今もキャスター業をしている。この自信は「私には基礎を学ぶタイミングがあった」ことからきている。
大学生の頃参加した、アナウンススクールでの学びだ。あの時、勇気を出してスクールの受講を決断したから今があるのだ。
アナウンサーになってご飯を食べていく夢は叶わなかったが、やりたいことは実現できている。大学時代に夢への一歩を踏み込んだおかげだ。
いつまでボランティアキャスターを続けるかは未定だが、やりきった、と胸を張って宣言し卒業するその日まで、キャスター業に邁進したい。