なんとなく眺めていたニュースサイトのとある記事が目に留まり、急激に込み上げてくる嫌悪感と吐き気に顔をしかめながらクリックをする。LINEのスクリーンショットと共に「おじさん構文」と書いてあるそれに苦笑が漏れる。
ああ、もう文化なんだ、みんな苦労してるんだな。

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購読していないのに定期的に届く無料メルマガと化したそれは本当に迷惑でしかなく、どうお断りしようかと何度も悩み律儀に返信をしていた時期もあったけれど、ある時から無視を決め込むことにした。既読もつけずにトーク画面ごと削除するようになった。
そしてやっと諦めてくれたかやれやれなどとホッとしつつ忘れかけた頃に、またメルマガ通知は鳴る。

「〇〇ちゃん、こんばんは。元気にしてますか?こちらは最近組織の編成などもあってナカナカ忙しい日々を送っています(^_^;)」

前職のお偉いさんだったおやじに誘われ、一度食事に行って害がないことを確認したのに、二度目の食事の後タクシーの中でキスを迫られ、さらに今まで名字で呼んでいたくせに急に下の名前で呼びだした気持ち悪さはなかなか記憶から消えない。

「僕がなんで時間を使うか分かる?〇〇ちゃんに秘書になって欲しいんだよ」
「意味のないことに時間を割かないよ」
「前の秘書はやっぱり見た目があんまりでね」
「他の人たちにもあんまりですねって言われたんだ」
「事務作業はしなくて良いよ」
「大勢の集まりとか飲み会、そういうものに一緒に出てくれるだけで良いから」

今の時代に逆行しまくっているゴリゴリのルッキズム野郎ということに気付いたのも二度目の食事で、こんなこと言う人だっけと愕然とした。企業のお偉いさんが化石みたいな思考で生きちゃってるから、なんかもう色々仕方ないよなと思う。

飲み会に出るだけで良い秘書なんて馬鹿にされてる。馬鹿にしていることに気付いていなくて、なんなら褒めてるんだよのスタンスで顔を赤らめながら話すおやじと関わりたくない。そんな思考が含まれた言葉や空気を吸収したくない。

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じゃあ食事に行かなければ良いじゃん最初から。なんて言われたらそれまでだけど、そんなこと言ってたら素敵な出会いすらなくなってしまう。ここから派生して得られるものに期待して行くけれど、急に投げられるナイフを避けられないことは日常茶飯事だ。

これが世界だから、こんなもんだから。それくらいのスタンスで心にしこりを残しながら生きていくしかないのかもしれないけれど、だけどそんな思いをしなくても良いのであれば、出来ればしたくない。

おやじが送ってくる、聞いてもいない近況報告や、突然のちゃん付け、泣きたくなるくらい残念な絵文字のセンス。これ以上私の心のしこりを大きくしないで欲しい。返事がないのは、そういう事だから分かって。言葉にしないと分からないよなんて言わずに。返事がないことは、言葉にするよりも分かりやすいんじゃないかな。こんなところまでも、理解し合えないのか。

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こんなことがあってさーと、仲の良い友人たちに笑いながら打ち明ける。みんな口々に無理すぎるだの、キモイだの言ってキャッキャと笑ってくれた。笑いに昇華されたことで少しだけ心のしこりは小さくなる。

私も実はこんなことがあってさと話し始める友人の話に耳を傾け、やっぱりみんな苦労してるんだなと同情する。生きて来た時代の違いや価値観の差はそんなに簡単に埋められるものではないけれど、こうやって友人に話したり文章として発信し続けることで少しずつでも世界は変わると前向きにとらえる。

「おじさん構文」という言葉すら知らないおやじをちょっとだけ馬鹿にして、バランスを取りながら。