私はよく、年齢を4~5歳上に間違われる。

小学1年生のとき、銭湯でおばあさんに「小学生?5年生かな」と話しかけられた。1年生だと答えると、彼女は驚き、「あらぁ大きいねぇ」と言った。
クラスで2番目に背が高いことがコンプレックスだった私は、心の中でムッとしながらも自分よりも背の低い腰のまるまったおばあさんに下手な愛想笑いを見せた。

小学5年生のとき、母親の付き添いでスーパーの中にある化粧品売り場に行った。
母親が、売り場のスタッフに化粧品についての説明や試し付けを受けている間、私は母親を取られたような気持ちになりイライラしていた。

そんな私に気を使ったのかスタッフは私に、「高校生?大人っぽいね」と声をかけてきた。
的はずれな予測をした彼女を心の中でバカにしながら、私はめいっぱい不機嫌な態度で「小学生です」と答えた。

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高校受験が終わった中学3年の冬、私は姉が見習いとして働く美容院にカットモデルとして行った。
姉を指導する美容師はこれがまたひねくれた人間で、妹が近くにいるにも関わらず姉を下に見るような態度を変えなかった。

その美容師が、指導の中である英単語を口にした。
「この単語わかる?」と姉に聞き、姉がわからないと答えると今度は私に聞いてきた。もちろん分かるはずもなく、首を横に振ると彼は「そっか〜。妹ならさすがにわかると思ったんだけどなあ」と皮肉たっぷりな口調で言った。続けて「あれ、受験終わったんだよね?どこの大学に行くの?」と聞いてきた。

高校受験だと伝えた。中学生に英単語でマウントをとった大人気なさと、多少の恥ずかしさを味わえばいいと心の中でほくそ笑みながら、私は彼が驚く様子を眺めていた。

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20歳のとき。
「みーちゃんて20歳に見えないよね。私のお客さんでハタチの人いるけど、全然違うよ」
姉が唐突に口にした言葉に、私は驚くほど素直に「わかる」と思ってしまった。そして理由もわかっていた。

自分が同世代よりも優れているとか、大人びた考えを持っているからではない。
ただ単に、私には覇気がないのだ。生きる気力、未来への希望、その他への強い関心や興味が私にはない。
おまけに20代が好むであろうもの、例えば大人数の飲み会、映えを意識された仰々しい食べ物や空間、刹那的な生き方にめっきり興味をそそられないのである。

だからと言って粋な趣味や極めた特技など、熱くなれるものも特にない。社会人になり休日は寝てるか、広く浅く様々なコンテンツを流し見しているだけの日々だ。
私はただただ社会に消費され、消費している。

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さすがに年齢を幾度となく間違われた過去の私も、無駄に大人びた顔をしている私も、やる気がないのを落ち着いてると評価された私も、こんな大人(20歳)になるとは想像もしていなかっただろう。
「なんで生きているんだろう」と毎晩考えてしまうような、そんな人間に。

私は多分、ずっと悩んでいる。
見た目とは裏腹な自分の稚拙さに。全てを知っているかのような、はたまた全てをあきらめたような「達観してるね」と言われる私の考え方には、傷つきたくないという思いが込められていて、いちばん弱い人間のそれだった。

自分一人だけ置いてけぼりにされているような感覚を、見て見ぬふりをし続けた結果なのか。
そういうふうに考え、涙を流し、なにも変えられぬまま今日も夜は明けてゆく。
繰り返される夜のある一夜に、いつも考えていることを文字に起こしてみた。少しは寝つきが良くなればいいと思う。
おやすみなさい。