生まれてから社会人1年目で1人暮らしを始めるまでの20年以上を、私はふるさとで過ごした。
東京まで2時間弱の郊外。共働きの両親、姉と祖父母に囲まれ、仲はどちらかというと良い方の、いわゆる普通の家族の中で過ごした。

初めての1人暮らしは東京なので、上京ではなく、単なる引越し。不安や緊張はあったけれど、地方から上京してくる人と比べたら気楽なものだろう。
週末帰ろうと思えば、すぐに帰れる距離だ。

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長年同じ場所で暮らした中でも、自分とふるさととの関係が大きく変わった時があった。
それは、小学校を卒業して少し経った時。
私は地元の中学ではなく、受験をして東京の学校に通う事にした。親の決めたことで、姉と同じ道なので、特に疑問は無く。

2ヶ月ほど経った頃、仲の良かった小学校の幼馴染2人と会った。
初めての久しぶり。やっぱり話していて楽しかった。でも、分かったことは、彼女たちにはもう新しいコミュニティがあること。
初めて聞く子の名前、少し変化した見た目、変わるのはあっという間だ。悪いことではなく、そういうもの。

当たり前のように、幼馴染との関係は希薄になり、私とふるさとの関わる範囲は急に小さくなった。
みんなと一緒なら、ふるさとのどの場所にも居場所があるような気がしていた2ヶ月前の感覚は、あっという間に消えていった。

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それからは、ふるさとは過ごす場所というよりも帰る場所になった。長い時間を過ごしたのに、記憶はごく小さな範囲だけだ。
それでも寂しさに気付かないふりが出来たのは、祖母の存在が大きい。中学にあがる時期を同じくして、祖父と別れ、姉は地方の大学へ行き、両親は共働きだったため、私の側にいてくれるのは祖母だった。

今思うと、あれが「無償の愛」だったんだと感じる。
1歩引いて居ながらも、芯があり、優しく、みんなから慕われる本当に素敵な人だった。
お別れしてしまった今でも、1人にしないでいてくれた祖母の優しさを思い出すだけで愛を感じることができる。
思い返すと、私のふるさとの大半の記憶は、祖母の愛の記憶だ。

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今のふるさとの距離と同程度の距離を、10年以上往復する学生生活を送ったが、流れる空気のスピードの違いには、小さい頃から気が付いていた。
変わっていく環境も、毎日ふるさとのスピードに帰ることが出来たから、社交的になれない自分の性格でも何とかやっていけたような気がする。

離れた今、あのスピードに助けられていたことを実感している。
2時間弱という距離しかないのに、ふるさとの日常はゆっくりで、変わっていくスピードもゆっくりだった。
通ったスイミングスクール、ピアノ教室、遊んだ駐車場ももう無いのに、あまりにゆっくり変わっていくから、寂しさもゆっくりやってきて、歩いていると変化に気が付き、「あぁ、そういうもんだよね」と。
もっと早いスピードで変わってくれていたら、一瞬で変わってしまった幼馴染との関係も、紛れて忘れていたかもしれない。

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20歳で集まるはずだった小学校の同窓会は流れて、ほとんどの友達に卒業式以来会っていない。
もともと幼馴染とは、偶然家が近かったから同じ小学校になって、同じクラスになっただけの縁。それからの人生を振り返ると、同じことに興味を持ち、全国から集まって切磋琢磨した大学の友人に比べたら、単なる小さな偶然だと思う。
大人になって好みや自分の性格がある程度定まってきた中、この先も一緒にいたいと思える友人に出会えた偶然の大きさは測り知れない。

ふるさとを小さい範囲で過ごしてきた私にとって、「ふるさと」とは、温かい無償の愛と自分らしいスピードを取り戻すために帰る大切な場所だ。
でもその中に、時々ゆっくりやってくる心寂しさ。
昔の小さな偶然を本当は今も大切にしたい。
大人になってからでもふるさととの関係を少し広げることは出来るだろうか。そんな未練と淡い期待をふるさとに抱いている。