子どもの頃、未来の自分へよく手紙を書いた。10年くらい先だと手紙自体を失くしてしまいそうだから、宛先はいつも1年くらい先の自分だった。机の引き出しの一番奥にしまっておき、封筒に書かれた日付になったら開封した。

内容は、とりとめもない友達に書くようなものである。日記と何が違うのかと思われるかもしれない。日記はその日あったことの記録だが、手紙は未来の自分に伝えたいことを書くから、友だちと喋っているようなワクワク感があるのだ。
日記だとサボりがちになるが、手紙なら楽しさがあるから定期的に書くことができた。宿題の日記や作文を書くのが大嫌いだった私が今エッセイを書いているのは、エッセイが、自分宛の手紙の延長線上にあるからなのかもしれない。

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小学生の頃に書いた手紙は、読むだけで自分の成長を感じることができた。
手紙は1年後の自分宛なので、小学5年生のときに、4年生のときに書いた文章を読むことになる。1年前と今の自分を比較して、字が上手になったなあとか、前はこんなちっぽけなことで悩んでいたのかと思ったものである。
今、この頃の手紙を読んでも、毎日たくさんのものを吸収して、友達との関係のあり方や、物事の表現の仕方を覚えていったことも分かる。文章も、10歳の頃は「〇〇ちゃんと遊んで楽しかった」としか表現できなかったが、11歳になると「〇〇ちゃんと先生の似顔絵を描いて遊んだ。〇〇ちゃんは普段絵を描かないのに、似顔絵が上手くて笑いが止まらなかった」というふうに書けていた。

中学生の頃に書いた手紙は「勉強が大変デス…↓↓」など、可愛いが読みにくい字体で書いてある。しかも話題がコロコロ変わる。その当時、友達とのやりとりでよく使われていた「H/K」(話変わるけどの略)を書けば、どんなに話題が変わっても違和感はなかった。勉強が嫌だという話のあとは「H/K」が書いてあって、すぐに好きな漫画の話題になる。
手紙はそのまま当時の私を映しているようである。友達に影響されやすく流行りに敏感で、色々なことに興味関心があったのだと思う。

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子どもの頃の気持ちは、自然に忘れてしまうものだと思う。修学旅行や受験勉強など、強く思い出に残っているものに関しては、気持ちもよく覚えている。しかし、日々の学校生活や夕飯時に家族と話したことなど、日常のことは全く覚えていない。

でも、手紙を書けばそのようなことも思い出せるのだ。しかも、その文体や手書きの文字は過去の私をそのまま感じ取ることができる。考え方が甘いと思うことも、ちょっと痛いと感じることもあるが、それだけ自分が成長しているということだと思う。

今の私も手紙という形ではないが、エッセイやSNSで文章を残し続けている。
子どもの頃とは変わり、手書きからパソコンやスマートフォンで文字を打つようになった。字体から私を感じるということはなくなってしまったが、それでも失くさずに長文を保存しておけるのはよい。
後に見返すと少し恥ずかしくなることもあるが、今の私を未来の私に伝えられるよう、友だちに話したくなるレベルの小さなできごとや、思いついたことをありのままに残していきたい。