私が生まれ育った街をふるさとだと思ったのは、街を離れてからだ。

卒業式の定番である歌唱曲のふるさと。歌っていても、あまりピンとこなかった。
ずっと地元しか知らずに生きてきた私にとって、特別な経験などしておらず、懐かしいだなんて微塵も感じなかったからだ。
その場所でできることをして、つまらないことは避けて、都会に夢を抱きながら、私は生きていた。だから、地元に愛着などなかった。むしろ、簡単に捨てられる場所だった。

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時は過ぎて、地元を離れて一人暮らしをすることになった。これも半ば強引に、引っ越さなければ行けない場所へ身をおくことにしたからだ。
引っ越しの日も、できるだけ最短で段取りをした。ゆっくりしている時間などいらない、とにかく早く一人暮らしを始めたかった。

地元を離れて暮らし始めてからしばらくすると、祖母からダンボールが届いた。中には、お米や地元の道の駅で売られている野菜・果物が入っていた。
道の駅などで売られている商品には、生産者の名前や製造された住所が書いてある。それをみて、なんとなく場所がわかることが、自分の中で感慨深いものを感じた。

自分が育った街で、とくに意識して覚えようと思ったわけではない土地勘や風景。それが親近感とともに思い出せたのだ。ここは自宅の近く、ここは行きつけのお店の近く。このように、行ったことのある場所や、知っている場所に絡めたエピソードが出てくる。自分が思っているより、地元が強く自分の中にあった。最初は戸惑うほどだった。
届いた野菜を使って自炊をしたときも、この味、この野菜のみずみずしさ、今住んでいる場所のスーパーでは買えない野菜のクオリティだと気づく。昔から食べていた野菜の味もわかるほど、地元での生活が自分の土台を作っていたと知り、驚いた。

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それから、毎月送ってくれる祖母からの仕送りが楽しみになった。
今月は何が入っているのだろう。どんな野菜が入っているだろうか。季節からして、旬の野菜を詰めてくれているのだろうか。ワクワクしながらダンボールを受け取り、開封する。荷物が届く前日、宅配業者からの通知メッセージが来るたびに、明日が待ち遠しくなった。
届いた野菜を使ってどんな料理を作ろう。どうしたら美味しく食べられるだろうか。いかに地元の食材を美味しく食べるかを考えるだけで、それだけで楽しかった。

地元を思い、届く食材に絶対的な信頼を寄せ、仕送りを待つ。これがふるさとの持つ力なのかもしれない。地元を離れて、新しい生活に触れたからこそ、地元・ふるさとという概念が存在し、自分の中で大きく根付いていたと知った。

私は、地元を離れるという選択をして良かったと思っている。
限られた地域しか知らないよりも、大きく広く世界を知ることができたからだ。それともうひとつ、ふるさとを知ることができたという点もある。
今もずっと地元にいる選択をしていたら、きっとふるさとという概念はなかったはずだ。食材をみて楽しむことも、毎月の仕送りをワクワクしながら待つこともなかった。産地を見て、場所がわかることに感動することなんてまったくなかった。どれも地元を離れたからこそ感じた思いであり、発見である。

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今なら少し、わかる気がする。
昔歌ったふるさとの、曲の意味や世界観が。何も考えずに遊んで、日が暮れて、母の作る美味しいごはんを食べて寝て、また朝になれば起きる。当たり前だった日常が、かけがえのないものになり、地元で過ごした20年余りが、私を作った原点となっていた。

地元を離れて数年が経つが、今も祖母の仕送りは続いている。毎月楽しみに待ちながら、開封は1つの儀式のように執り行われる。ダンボールのテープを取る瞬間から、テンションが上がる。地元の食材が食べられることへの喜び、地元が地方で良かったと思う瞬間でもある。

街を離れてから気づいた私のふるさとは、自分に深く根付き、当たり前だと思っていたものばかりだった。これらが特別だとわかったのは、自分が大人になり地元以外を知れたからで、経験を通してアイデンティティを獲得したように思う。
これからも、毎月の仕送りを心待ちにしながら、ワクワクしながら、地元というふるさとに思いを馳せて過ごしていこう。