私にとって文章を書くことは「心の浄化作業」のようなものだ。
私はよく心にモヤモヤが溜って、時間があるとぐるぐるとその悩みについて考えてしまう。
そんな時、私は文章を書く。
誰にも見られない文庫本サイズの無地のノートに、ひたすらその時の気持ちを文章にしてみる。
すると不思議なことに気持ちが落ち着いてくる。
何も解決はしていないけど、モヤモヤとした気持ちから離れることができる。
まるで、そのノートに書かれた気持ちの持ち主が、他の誰かのように感じる。
だから私は文章を書くことで、自分の嫌な気持ちを自分の外に追いやって平常心を取り戻している。
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自分が書いたノートを見返してみると、物語を読んでいるようで面白い。辛かった思い出も、時間が経つとこんなこともあったなと思えるようになる。今はまた別の苦しみの中にいるかもしれないけれど、それでも今まで一つ一つ乗り越えてきたなと思うと、今の悩みがちっぽけに感じるくらい、自信が湧いてくる。
自分の過去を頭の中で振り返ると、直視できなくなるくらい苦い感情が沸き起こってくるけれど、文章にすると違う人の物語のように感じて、ちょうどいい距離感で思い出を振り返ることができる。だから、同じ失敗を繰り返さないように、今の苦しみをちゃんと乗り越えられるように私は自分の物語を書く。
ふと、どうして文章を書くと、問題は何も解決していなくてもモヤモヤが晴れたような気持ちになるのだろうと考えてみた。
心理カウンセラーの方に、「暗闇が怖いのは、そこに何があるかわからないからだ」と教えてもらった。不安や悩みも同じように、漠然としているとただ不安で恐怖心ばかりが煽られてくるが、何が不安なのか、どうなることを恐れているのかを理解すると、それだけで半分くらいは不安や恐怖が薄まるそうだ。
私の不安が文章を書くことで和らぐのも、きっとそういうことなんだと思う。
文章を書くことで、自分の感情が研ぎ澄まされていくような気がする。
頭の中でぐるぐると考えていると、形のないモヤモヤがずっと渦を巻いているような感覚になるけれど、それを文字に起こしてみると、「これは感覚的に違うな」と感じたり、「こっちの方がしっくりくる」と思ったり、言葉で表現してみるとその正体がなんなのか、少し見えてくる。
そんな風に自分で今の感情を理解すると、その感情に対して「どう対処しようか」と思考が一歩先に進む。だから私にとって文章を書くことは気持ちを一歩前に進ませる「心の浄化作業」なのだ。
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他にも私が文章を書く理由がある。
たまに今こうやってエッセイを書くときのように、自分の考えたことを他の人にも共有できたらと思う。それは自分の考えが正しいかどうか知りたいのではなくて、読んでくれた人が自分と似たような状況にいたとしたら、何か励まされたり、支えになったり、私と同じような失敗をせずに済んだりしたらいいなと思っているからだ。
私も何かに悩んだ時や苦しい時によく本や映画を見て、気持ちが楽になることがある。それと同じように、私の文章が誰かの気持ちを前向きにするきっかけになったらと密かに思っている。
自分で一から物語を作ることはできそうにないけれど、今までの経験の中で語れることはいくつかある。それはとてもちっぽけなことで、自分本位の考えかもしれないけれど、日々周りとの価値観の差に狼狽えて、生きづらさを感じている自分と同じような感覚を持っている人がどこかにいるかもしれないと信じて、その人たちと繋がれることを信じて、ひっそりとささやかに自己主張をしてみるのだ。
そんな私の主張が誰かの心の浄化作業の手助けになることを願って、自分のできることから始めてみた。
それが私にとって文章を書くことだった。