文章を書く、という大きなテーマを聞いたとき、真っ先に思いついたのは読書感想文だ。
私は、読書感想文が嫌いだった。書き方もわからないし、母に半分以上書いてもらうこともしばしばあった。小学校のころ、読書感想文を書くという制度はなぜあるのか、なくなればいいのにと何度も思った。読書感想文は嫌いなまま終わってしまった。

母にも手伝ってもらった読書感想文が優秀賞に

そういえば、小学校1年生のころ感想文が学校で優秀賞に選ばれたことがあったことを思い出した。市の雑誌に掲載されて、それなりにうれしかった。しかし、この文章も思い返せば母に手伝ってもらっていた。
母は田舎育ちで大学に行く人はほとんどいない環境だったため、高校を卒業すると同時に社会人として働いていたそうだ。そのため、猛勉強をしたことがないという。
もしかしたら、母はとても頭がよく、文才があるのかもしれない。そう思った。

そんなこんなで私は成長していったが、中学生のころからは母に宿題を手伝ってもらうこともなくなり、文章を書くことが少しずつ好きになっていった。

迷路の本から本屋へ、そしてホラー小説が入り口に

なぜ文章を書くことが好きになったのか、おそらく原因として考えられるのは本を読むのが好きになったからであろう。
小学生の頃は図書館に行っても迷路の本を見るだけであった。しかし中学生になると、家の近くの本屋に週に3~4回は足を運んでいた。多分、本屋に足を運び始めた理由は、塾に行く前の時間つぶしだった。
はじめは雑誌コーナーや文房具売り場しか見ていなかったが、何度も行くうちに見飽きたため小説などの本のコーナーを見るようになった。暇だし、本も買ってみようかと思い、ホラー小説を購入した。
そのホラー小説は想像の10倍、いや100倍も面白かった。本を読んでいてこんなに時間が過ぎるのが早いと感じるのは初めてだった。

そこから本を沢山読むようになった。それに伴い、文章を書くことも多くなった。中学生・高校生の頃はほとんど毎日日記を書いていた。
その内容は、当時の恋愛や学生生活、辛かったこと、楽しかったことが多かった。誰にも言えない悩みがあったら、その日記に記載していた。学校で人に不快な思いをさせられても、その場ではぐっと我慢し、家に帰るとその日記に詳細まで記載していた。
今考えると自分が怖く感じるが、これは誰にも迷惑をかけないストレス発散方法ではないかとも感じた。

書くことが、私の人生に彩りを与えてくれる

その日記を定期的に読み返すのがひそかな趣味だった。当時の感情を鮮明に思い出せて、幸せな内容であれば何度もその幸せな感情を体感出来た。
恋愛においては、好きな人と数か月後に付き合えた時、片思いしている時期の日記を読み返していた。そうすると、何倍も幸せで、好きだなという気持ちが溢れるのだ。

時には失恋したときもあった。そのようなときは、日記に細かな心情を書く。紙が湿ってしまうのに、涙が止まってくれない。そんなときも書く手を止めず、心情を書き続ける。
付き合っていた時の幸せな日記を読み返すと何倍も辛くなる。しかし、この辛い思いは生きていくうえで必要なのではないだろうか。人生における大切な、大切な財産になるのではないだろうか。そして、こんなにも人のことを愛せて、私は幸せ者だな、そう感じるのである。
そのような感情に気付くことが出来たのは、きっと文章を書いているおかげである。

文章を書くということは、人生に彩りを与えてくれるのではないだろうか。
自分の脳内で考えていることを文章で表すのはとても難しいように感じる。しかし、文章を書くことで自分の奥底に隠れている感情とも向き合うことが出来るのではないだろうか。そう思う。
とても素敵な、心がときめくことだ。だから私は、今日も文章を書く。