物心ついたときには、気づけば私の隣に文章がいた。
いや、文章がいたという表現は大きすぎるのかもしれないが、文章を書くことに抵抗はない人生を歩んできた。
多くの友人が嫌がってきた長期休みに出がちな読書感想文も、別に苦に思ったことはなかったし、それが興味のあまりないレポート課題に変わってもひとたび波に乗れば概ね満足のいく出来であり、ほんとか?と疑いたくなるようないい評価を頂いたときもあった。

だけど、私にとって一番身近な文章は、自分自身について書く文章のことである。
おそらく20歳を数年前に迎えた私が、小学校5年生のときから書き続けている日記がそれに当たるのだろう。

文章を書くことが、私のストレス発散のひとつ

私が文章を書く理由はずばり、もっと今の私を好きになるためである。
嬉しいことがあったとき、悲しいことがあったとき、感情の変化があると私はいつも、日記という手段を使って文章を書くようにしている。感情の変化がよく訪れる人間なので、日記を書くことは基本的に毎日行っている。
特にマイナスの感情に動かされた時は、どんなに時間がなくても文章にする。
嫌なことがあったとき、何かにむかついたとき、泣きたくなったとき、心が疲れたと悲鳴をあげているとき、そのたびに文章にしてきた。

よく負の感情に襲われたときは、思っていることを文字にすると、客観的に物事を把握できるため、解決策が見えてきやすいという。そして、私もこの方法でたくさんの困難を乗り越えてきたと思っている。
実際に数日前も人間関係で悩んでおり、何も考えずただ思ったことをB5のノートに書いたところ、見開き2ページにも及んでいた。
もはや一種のストレス発散方法かもしれない。

ポジティブで終わる、それが私の文章との向き合い方

でも、私が文章にするとき、マイナスの感情をただ文字にしているだけじゃなく、心がけていることが一つある。
それは、必ず自分自身を肯定して文章を終えることである。
書き始めの数行は、愚痴や不満や、きれいとは言い難い感情を気が済むまで書く。
でも、文章の終盤には、一つでもいいから自分自身のいいところを探して、書くようにしている。

実際、先日社内の人間関係で悩んだ時も、精神的に弱ってしまった私は体調を崩して会社を休んでしまった。会社を休むというその判断が、合っているのか、間違っているのか分からなくなった私は、文章を使って自問自答した。
その後、しんどいときにしんどいと自ら判断して休めた私は偉い、との結論に至った。
つまり文章の中のもう一人の私が、私のことを褒めてくれた。そして、そんな私のことが好きだと言ってくれたように感じた。
そうすると、いつのまにか私自身も私のことが好きになり、結果、今の自分をもっと好きになれるのである。

自分をずっと好きでいたいから、これからも書き続ける

文章を書くことは、少なからず時間を費やすし、少なくはないエネルギーを消費する行為かもしれない。
だけど私はこれからも文章を書き続けるし、書き続けているかぎり、私は私のことが大好きなのである。