私は文章を書くのは苦手だ。だけど、好きでもある。
私にとって文章を書くことで連想させられるものは、小中学生の頃の読書感想文や、大学でのレポートなど、自分にとって苦手としてきた分野である。そのため、「文章を書く」と聞くと、どうしてもマイナスなイメージになってしまう。
しかし、大学に入学し、毎日を振り返るために簡単な日記を書く時間を作り、毎日日記を書く、つまり文章を書いていたが、その時間はとても楽しい気持ちになった。

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前まで文章を書くことをあまり楽しい行為だと思っていなかったのに、なぜ楽しいと感じるのか考えてみた。
その日記は、ただ自分がその日の出来事や思ったことをただ思い浮かんだ順に書いていくというスタイルである。読書感想文とかと違って他人に催促されるのではなく、自発的に記しており、自分しか読み返さないため、堅苦しい表現は使わず、自分に話しかけるように気軽に記していたからだと気づいた。
日記には楽しいことばかりではなく、辛かったことも記していき、日記を一度読み返してみると、日々何かしら習得していることに気づき、その振り返りが自分の糧になっていると知った。
やはり文章を書くというと、論理的で、読む人が分かるように書かなければいけないというプレッシャーや、自分の言葉に自信がないなどで私のように苦手意識を持っている人が多いかもしれない。しかし自分のために書く文章は気軽に書け、私にとってその文章は大きな力になった。
以下ではその一例を紹介する。

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去年の夏ごろにかき氷のバイトを始めた。家から電車で約1時間もかかるというのに、超有名店で、1000円以上するかき氷がまかないとして毎出勤食べられる、という点に惹かれたためだ。
初出勤の日、あまりの過酷さに絶望した。有名店なので列が絶えずあり、お客様の入れ替わりが激しく、私からすると店内は言わば戦争のようであった。さらに、環境もあまりよくなく、社員さんの機嫌を損ねないように気を使いながらやらなくてはならない業務をこなさなければならず、精神面でもつらかった。働いている間は考える暇もなく、ひたすらに業務をこなし続けることしかできなかった。
さらに、夏の3か月ぐらい続けて毎回日記に書いていたことは「つらい」とか「しんどい」などマイナスの言葉だらけで、自分にとって何のメリットにもなっていないことが分かった。
文章に自分の気持ちを起こしてみると、つらい思いや、精神的にもきつい思いがあふれてきた。また今までの日記を俯瞰してみてみても、続ける意味が見いだせない時が来て、やめる決断に至った。

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このように、日記のように文章を書くことによって、自分の気持ちを俯瞰してみることができ、今自分が求めていることが見えてくることがある。今回の場合は、文章によって「やめる」という決断に至ったが、その他、些細なものでも自分が得たものを書き起こすことで、「こんなに習得したものがある」と可視化でき、自信につながったりする。
つまり、文章には人を動かす強い力があるのだ。

また、コンサート・スポーツの観戦などの感想は語彙力を失いがちになる。「とにかく、やばかった!」と一言で済ませがちであるが「やばい」にも様々な意味があるため、ニュアンスで記憶することになる。そのため、どうやばかったのかきちんと言葉に表してみる作業を挟むことで、その記憶がより深いものになると思う。
文章に起こし、読み返すことで大切な思い出をより鮮明に思い出せるようになる。このように文章には人生をより豊かにする力もある。
このように私にとって文章を書くこと、それは自分のためであり、人生を豊かにする一つの手段である。